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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:7月8日









タモリさんたちが次に向かったのは禅林街の入り口にある、刀鍛冶をルーツにもつ鍛冶屋さん。

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現在は剪定バサミを作っています。
サムライが作った宝④ 剪定バサミ

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木もスパッと切れる切れ味。

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このハサミを使う弘前の宝を探しに、長勝寺の南に広がる住宅街にやってきました。

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宝とはリンゴのこと。
サムライが作った宝⑤ リンゴ

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刀鍛冶が開発した剪定バサミは、実はリンゴ専用のもの。

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リンゴ農家の工藤貴久さんに案内してもらいます。
弘前は市町村別リンゴ出荷量全国1位。
年間6億個生産しているそうです。

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効率良くリンゴを収穫する工夫が”芯止め”。

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真ん中の幹を切ってしまう”芯止め”で枝が横に伸び、農家は楽に収穫することができます。
また”芯止め”によって根が活性化するので、木が長生きできます。

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実はリンゴとサムライには深い関係がある。

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その関係を知るために工藤さんのお宅にお邪魔しました。

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刀…。

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工藤家は代々武士の家柄だった。

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弘前のリンゴ栽培が始まったのは140年前。
明治維新で職を失ったサムライへの失業対策がきっかけでした。

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菊池楯衛:リンゴの開祖と呼ばれる弘前藩士
接ぎ木で苗を増やす方法を確立

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増やした苗を農家に提供し、リンゴ栽培を弘前一円に広めました。

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工藤家所蔵の弘前藩に伝わる罪人の縛り方を解説した巻物。

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縛り方は罪人の身分によって異なる。

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目的が違う縄師w

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なぜか長野生まれの̪シナノゴールドをご馳走になる。

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アップルカッターなら一発で切れる。

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絶妙な甘さ。
食感も良い。

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よその家で食べるリンゴはおいしい説w

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弘前城からスタート。

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タモリさんは半世紀ぶりの弘前訪問。

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近江アナはリンゴのイメージで赤い服をチョイスw

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天気に恵まれ、岩木山がきれいに見えます。
岩木山:標高1825m
愛称は津軽富士

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タモテバコ弘前バージョン。
リンゴと桜があしらってあります。

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旅のお題は「サムライが作った弘前の宝とは!?」。

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案内人は弘前博物館の棟方隆仁さん。

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最初に案内されたのは弘前城の天守。
タモリさんは櫓だと思っていた。

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地味すぎる天守閣

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表側は天守閣っぽい。

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サムライが作った宝① 弘前城
慶長16(1611年)築城
江戸時代の天守が残る数少ない城として高い価値

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表と裏で造りが違うのは、経費節約のため。
東北の諸藩は慢性的に財源不足だった。

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津軽人は、ええかっこしいでお調子者で頑固w

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低すぎる石落とし。

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天守閣の現在の場所。

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元の場所。
天守の下の石垣の修理のために2年前一時的に現在の場所に移動させたそうです。

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曳家:建物を解体せずそのまま移動させる

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70日かけて80m移動させたそうです。

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タモリさんと近江アナは特製ヘルメットをかぶって石垣の修復工事を見学します。

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弘前城 石垣修理工事:天守下の石垣を高さ10m幅110m、石の数3000個にわたり修理
2023年完成予定

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軍手もお洋服の色に合わせてコーディネートw

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重さ2tの石の石引きに挑戦。
3人ではびくともしない。

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7人だと割とスムーズに動く。

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次にタモリさんたちが向かったのはお城から南西に1km離れた場所。
有名な長勝寺(1528年創建 藩主津軽氏の菩提寺)はスルー。

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先週に引き続き、緊急ルポ・骨折最前線の後編です。

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ロケ地:帝京大学医学部付属病院

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ゲストも先週に引き続き、角田さん(東京03)と飯島さん(東京03)、石田さん(NON STYLE)と井上さん(NON STYLE)。

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解説は、帝京大学医学部名誉教授・日本骨折治療学会元理事長の松下隆先生。

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今週はNON STYLE石田さんの骨折にスポットを当てます。

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≪石田さんの今回の骨折の経緯≫

① 番組の打ち上げで1時間半ほど飲む

② 某遊戯施設(ラウンドワン?)で3時間スポーツを楽しむ

③ いったん解散したが、まだ遊戯施設で遊びたくて友人に電話して呼び出す

④ 友人を待っている間、たまたまあった小石を蹴ろうとしてバランスを崩し転倒

⑤ 右手をついて、上腕骨骨折

骨折時の石田さんの レントゲン写真。

前にも上腕骨を骨折しているので、プレートとネジが入っています。

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2003年に草野球で投球中にらせん骨折。

骨まめ知識:投球による上腕骨のらせん骨折は投球骨折とも呼ばれます
     :正しい投球フォームを身につけたプロ選手が投球骨折することはまずない
 
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強度の高いインプラントのヘリ部分は応力が集中するため骨折しやすいのだそうです。

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現在の石田さんの右上腕骨。
前のプレートは外して髄内釘(金属製の棒)が入っています。

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骨まめ知識:体内から取り外したプレートは記念にもらえることが多い

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超音波骨折治療器で治療中の石田さん。

骨まめ知識:微弱な超音波で細胞を断続的に刺激することで骨の癒合が促進すると考えられている

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東京03の角田さんも超音波骨折治療器をネットで調べたそうですが、5~6万するそうです。


 
骨折のベテラン、石田さんに過去12回の骨折の経歴をインタビュー。

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最初の骨折は右手中指。
学生時代、デコピンが強かったので罰ゲームのデコピン担当に。
ある日5人連続でやることになり、3人目で石田の方が倒れる
デコピンで右手中指粉砕骨折。

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レントゲンを撮ると、先の方の骨が欠けていたそうですが、特に何もしなかったそうです。
松下先生によると、こういう骨折はほっといてもくっつくし、くっつかなくてもたいしたことにはならないそうです。

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次は右足首。
朝寝坊して慌てて出たところ、マンホールで足を滑らせて骨折。

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次は右手首。
グーにした右手を支えにして起き上がった際、骨折。

病院で診てもらったらボクサー骨折と言われたそうです。
ケンカして人を殴ったり、壁を殴ったりした際になる骨折。

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手首骨折の治療には手首専用のプレートを使うのが現在の主流。

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現在日本にいる彫刻家(百貨店や画廊などで作品を披露している人)は500人、そのうち木彫り作家は100人程度。
今回は日本を代表する木彫り職人・前原冬樹さんが様々な理由により売らないで手元に残している作品をご紹介します。

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これが前原作品の一つ「一刻」。
一つの木からできています。

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 超リアルな作風。
海外から買いに来る顧客もいるほどの人気木彫り作家です。

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前原さんの作品制作の工程は、まず木に設計図を描き、木を削ります。

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細かく調整してゆき、

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油絵の具で仕上げます。

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 前原さんは最初から彫刻家を目指していたわけではなく、若い頃は流浪の人生を送っていました。

高校卒業後はフリーターをしていました。

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バイト仲間に誘われてボクシングを始め、24歳でプロデビュー。
プロボクサーとして4勝5敗1分の戦績を残します。

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プロボクサー引退後、職場の同僚に誘われて東京芸術大学を受験。
32歳、7度目の受験で合格。

卒業制作は、美術学部絵画科油画専攻で1998年唯一の買い上げ作品となりました。

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① 2008年 発表作品「彼の地へ」

前原さんの作品は平均300万円だそうですが、どうしても売りたくない作品もあります。

その一つが「彼の地へ」。
檜の角材を3つ使って制作に2年かかった作品。
あまりに制作に苦労したため、売りたくなくなってしまったのだそうです。
 
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前原さんが若い頃に使っていた靴と自転車のサドルを再現。

サドルの裏側は特にこだわったところ。

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スニーカーも超リアルです。

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 この作品のメッセージは「一歩踏み出さないのか?」。
これは当時パチスロにはまってだらしない暮らしをしていた自分自身へのメッセージでもあったそうです。
 
もう、パチスロは一生分やったそうですw

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