今回の新3大は女子陸上100mのマリーン・オッティ選手。
陸上をあまり知らない人でも40代以上なら彼女の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。
オリンピックに7回出場し、メダルを9個獲得している偉大なスプリンター。
しかし彼女にはどうしても果たすことがなかった夢がありました。
① 1996年アトランタオリンピック女子100m
オッティ選手のオリンピックデビューは1980年モスクワ五輪 。
初出場ながら女子200mで銅メダル獲得!

1984年ロサンゼルス五輪では優勝候補と目されながらも、100m、200mで銅メダル。

さらに1987年の世界陸上でも100m、200mで銅メダル。
実力がありながら、銅メダルに終わってしまうオッティにつけられたあだ名が”ブロンズ・コレクター” 。

1988年のソウル五輪では100mをケガで棄権。
200mでは4位と不本意な結果に。

先頭はジョイナー選手
引退も十分考えられる年齢(28)だったのですが、このままでは納得ができないオッティは新しいコーチの下でメキメキとタイムを伸ばし、素晴らしい戦績を残します。

そして、32歳となったオッテイは優勝候補として1992年のバルセロナ五輪を迎えます。
しかし、200メールで銅メダル、またコレクションを増やしてしまいました。

彼女はレース後「欲しいのはこの色じゃない」というコメントを残し、その後もさらに鍛え直して36歳で100m自己ベスト10秒74をたたき出します。
1996年アトランタ五輪。
36歳にして悲願の金メダルを狙うオッティ。

女子100m決勝。

アメリカのディバース選手とほぼ同時ゴールイン。

写真判定の結果、惜しくも2位に。

しかし、表彰式では銀メダルを取ったブロンズコレクターに観客席から万雷の拍手が送られました。
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陸上をあまり知らない人でも40代以上なら彼女の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。
オリンピックに7回出場し、メダルを9個獲得している偉大なスプリンター。
しかし彼女にはどうしても果たすことがなかった夢がありました。
① 1996年アトランタオリンピック女子100m
オッティ選手のオリンピックデビューは1980年モスクワ五輪 。
初出場ながら女子200mで銅メダル獲得!

1984年ロサンゼルス五輪では優勝候補と目されながらも、100m、200mで銅メダル。

さらに1987年の世界陸上でも100m、200mで銅メダル。
実力がありながら、銅メダルに終わってしまうオッティにつけられたあだ名が”ブロンズ・コレクター” 。

1988年のソウル五輪では100mをケガで棄権。
200mでは4位と不本意な結果に。

先頭はジョイナー選手
引退も十分考えられる年齢(28)だったのですが、このままでは納得ができないオッティは新しいコーチの下でメキメキとタイムを伸ばし、素晴らしい戦績を残します。

そして、32歳となったオッテイは優勝候補として1992年のバルセロナ五輪を迎えます。
しかし、200メールで銅メダル、またコレクションを増やしてしまいました。

彼女はレース後「欲しいのはこの色じゃない」というコメントを残し、その後もさらに鍛え直して36歳で100m自己ベスト10秒74をたたき出します。
1996年アトランタ五輪。
36歳にして悲願の金メダルを狙うオッティ。

女子100m決勝。

アメリカのディバース選手とほぼ同時ゴールイン。

写真判定の結果、惜しくも2位に。

しかし、表彰式では銀メダルを取ったブロンズコレクターに観客席から万雷の拍手が送られました。
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