800年前の海側の「まちづくり」を見るためにタモリさんたちがまずやってきたのは材木座海岸。

突風によろめく桑子アナ
ここで案内をしてくれるのは、神奈川災害考古学研究所の上本進二さんとNPO古田土俊一さんです。

”こだと”と読みます。栃木や茨城に多い苗字らしい。
古田土さんが海岸で探していたのは、鎌倉時代の器の破片。
材木座海岸は遠浅の砂浜なので、川から流れてきた様々な時代の器の破片が岸に打ち寄せられるのだそうです。

しかし、遠浅の海岸にはデメリットもあります。
それは、水深が浅すぎて船が入りにくいということ。
そこで鎌倉時代の人たちは港を築きました。

「和賀江島」は日本最古の築港跡だそうです。
丹沢や伊豆・箱根から運んだ石を使い埋め立てをしたのです。
地元の石は風化に弱いので使えなかったようです。

波食(触)台(波が削った海面近くの岩盤)の上に石を積み上げ、1ケ月で「和賀江島」を築きました。

潮が満ちると、敷き詰められた石はほとんど海面の下に隠れてしまいます。

「和賀江島」はその後何度も改修を加えられながら、鎌倉の海の拠点として使われてきたそうです。
続いて一行がやってきたのは、「和賀江島」のすぐ近くにある海沿いの道。
上本先生によると、和賀江島の築港によって、地形変化が起きたのだそうです。

海沿いの道を歩くと標高が3.7m⇒6.2m。
実は高い場所は昔の砂丘の上。

和賀江島を作ったことにより、海岸に砂がたくさん堆積するようになったのだそうです。
その砂によって沿岸の砂丘が大きく成長することになりました。
その地形変化の特徴を示しているのが一軒のお店。

「土手」という名前の蕎麦屋さん。

お店のご主人に話を聞くと、このあたりが材木座の土地で一番高い土手だったとのこと。
土手は屋号だそうです。
関東大震災の際も津波はここ(土手)までは来なかったらしい。
ご主人はご先祖の供養のために「土手」の名を残したのだそうです。
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