山下公園の脇にある大桟橋からスタート。

ちょっと寒そうだけど好天。
雨女、桑子アナが懐かしいタモリさん。

横浜はブラタモリ3回目になりますが、本日のお題は「横浜の秘密は”ハマ”にあり!?」。

案内人は横浜市歴史博物館の小林紀子さん。
江戸時代の横浜に詳しいそうです。

現在横浜市の人口は約370万人。
全国市町村第1位だそうです。

横浜のイメージは港の沿岸地域。

ところで、横浜の”ハマ”とはなんでしょう。
ハマを探しにタモリさん一行は中華街の入り口に移動します。

海から離れてしまったように思えますが、実はこの辺りは昔砂州で、横に長い”ハマ”(右上黄色の部分)があったのです。

次に一行は関内駅近くに移動。
関内の”関”は関門の”関”。
外国人居留地とそれ以外を関門で隔て、外国人居留地がある側を関内と呼んでいたのだそうです。

外国人居留地は、開国開港に反対する日本人とのトラブルを避けるため、隔離された場所が好都合。
内海を埋め立て、川で陸と切り離すことによって長崎の出島のような隔離された土地を作ることができました。

現在の関内と関外。
川は埋め立てられ、橋だけが残っています。

昔はこんな感じでした。
派大岡川という川が流れていました。

派大岡川の痕跡が、ある場所で発見されました。
その場所とは関内駅の改札の真下。

駅の改良工事で昨年偶然発見された派大岡川の護岸です。

明治以降の横浜の中心地は”ハマ”の上に築かれた関内ですが、江戸時代の中心地は東海道沿いの宿場町でした。
その江戸時代の中心地を探るため、タモリさん一行は関内から北に3キロ離れた旧東海道に移動します。
今の京急神奈川駅のあたりにあった神奈川宿、東海道五十三次の中で江戸から3番目の宿場町です。

もとは東海道沿いにあったお寺。

旧東海道の台の坂あたりは、昔は海際だったようです。

江戸時代から続く料亭。
江戸時代はオーシャンビューの二階。

神奈川宿はオーシャンビューが楽しめる観光スポットでした。

富嶽三十六景のこの有名な絵も、神奈川沖を描いたものです。

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ちょっと寒そうだけど好天。
雨女、桑子アナが懐かしいタモリさん。

横浜はブラタモリ3回目になりますが、本日のお題は「横浜の秘密は”ハマ”にあり!?」。

案内人は横浜市歴史博物館の小林紀子さん。
江戸時代の横浜に詳しいそうです。

現在横浜市の人口は約370万人。
全国市町村第1位だそうです。

横浜のイメージは港の沿岸地域。

ところで、横浜の”ハマ”とはなんでしょう。
ハマを探しにタモリさん一行は中華街の入り口に移動します。

海から離れてしまったように思えますが、実はこの辺りは昔砂州で、横に長い”ハマ”(右上黄色の部分)があったのです。

次に一行は関内駅近くに移動。
関内の”関”は関門の”関”。
外国人居留地とそれ以外を関門で隔て、外国人居留地がある側を関内と呼んでいたのだそうです。

外国人居留地は、開国開港に反対する日本人とのトラブルを避けるため、隔離された場所が好都合。
内海を埋め立て、川で陸と切り離すことによって長崎の出島のような隔離された土地を作ることができました。

現在の関内と関外。
川は埋め立てられ、橋だけが残っています。

昔はこんな感じでした。
派大岡川という川が流れていました。

派大岡川の痕跡が、ある場所で発見されました。
その場所とは関内駅の改札の真下。

駅の改良工事で昨年偶然発見された派大岡川の護岸です。

明治以降の横浜の中心地は”ハマ”の上に築かれた関内ですが、江戸時代の中心地は東海道沿いの宿場町でした。
その江戸時代の中心地を探るため、タモリさん一行は関内から北に3キロ離れた旧東海道に移動します。
今の京急神奈川駅のあたりにあった神奈川宿、東海道五十三次の中で江戸から3番目の宿場町です。

もとは東海道沿いにあったお寺。

旧東海道の台の坂あたりは、昔は海際だったようです。

江戸時代から続く料亭。
江戸時代はオーシャンビューの二階。

神奈川宿はオーシャンビューが楽しめる観光スポットでした。

富嶽三十六景のこの有名な絵も、神奈川沖を描いたものです。

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