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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:那須

続いてタモリさんたちは那珂川の北にある那須町にやってきました。
大規模な娯楽施設が集中するエリアです。

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那須といえば牧場、牧場といえばソフトクリーム?

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南ヶ丘牧場は那須連山の中腹にあります。

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この牧場が酪農を観光化させた先駆け。

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酪農が観光資源になった理由は、地形や地質に関係がある。

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南ヶ丘牧場の会長、岡部勇一郎さんに開拓当時の話を聞く。
岡部さんの父親が昭和23年に満州から引き揚げて開拓を始める。

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標高の高い、岩がゴロゴロしている荒地では農作物は育たず、酪農しかできなかった。

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この牧場から2キロほど離れたところに温泉(那須湯本温泉)があり、温泉の湯治客が暇を持て余して散歩がてら牧場に来るようになった。
これが酪農の観光化の始まり。

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牧場の観光地化を推し進めるべく、食事やレジャー施設でおもてなしの環境を整えた。

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続いてタモリさんたちが向かったのは南ヶ丘牧場から6キロほど離れた遊園地(那須りんどう湖レイクビュー)。

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高度成長期、那須町には様々な娯楽施設が現れ、このあたりは一大レジャー王国になりました。

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昭和40年りんどう湖を利用してレジャー施設の営業を開始。

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湖面を渡るジップラインを見た二人の感想w

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あちこちにある小山は…。

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流山:
山体崩壊で山の一部が流されてできた地形

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地形地質好きにとっては、ここは流山パーク。

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りんどう湖は人造湖。

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何のために人造湖が造られたのか?

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りんどう湖は最初は農業用の溜池だった。

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後にレジャー施設として利用された。

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湖と山。
これはある景色にインスパイアされている。

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箱根の芦ノ湖。

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あるいは日光の中禅寺湖。

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リゾート地には湖が必要。

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那須は開拓とリゾートがいっしょに進められた。

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エンディング♪

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次回(9月8日)は鳥取砂丘です。

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千本松牧場からスタート。

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タモリさんがふと気づいたこと。
森田と林田は「木」が一つ違いw

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今回のテーマは「なぜ那須は一大リゾートになった?」。

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案内人は那須塩原市那須野が原博物館の金井忠夫さん。
那須には年間1400万人の観光客が訪れるそうです。

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リゾート那須を支える4大要素は、酪農、温泉、レジャー施設、別荘。

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リゾート那須誕生に関係する手がかりを探るため、タモリさんたちは馬車で移動します。

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千本松牧場は東京ドーム178個分。

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広さを表すのに東京ドームを持ち出すのはいかがなものかw
確かにそうだけど、他にいい例えがなかなかない。

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巨大農場(千本松牧場)の中にある松方正義の別荘
松方正義は総理大臣を2度務めた明治政府の大物。

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明治政府の要人(華族)たちは那須で農場経営をしていた。

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農場を所有するのはヨーロッパ貴族のマネだった。

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農場は華族のステータスシンボル。

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那珂川の南側に約1万haの農場が開拓された。

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山手線の内側より広い。
1万haよりはわかりやすい?

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なぜこれだけ広大な土地が那須に残っていたのか?
その理由がわかる場所に来たのですが…。

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碍子(がいし):電柱や鉄塔に取り付けられる絶縁体

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碍子好きのお宅w

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見たことはあるけど、これを碍子というとは知らなかった。

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ガイシファンは数少ない。

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奥さんにしてみればガイシはゴミ同然。

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理解者が現れて感激の八木沢さんw

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このあたりの土地は石が多い。
耕作に適さないので、明治になっても広大な土地が残されていた。

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石が多い理由は扇状地(川が運んだ土砂や石が堆積してできた土地)。

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