タモリさんたちは関所を出て、宿場町があった場所に向かいます。
今は宿場町の面影はありませんが、江戸時代の痕跡が見られます。

seki1

この道は箱根駅伝の5区のルート。

seki2

小さな川にかかる「小田原橋」が江戸時代の痕跡?

seki3

この辺りは小田原宿の人たちが集まって住んでいたところ。

seki4

箱根宿は小田原宿と三島宿の人が移り住み、新たにできた町だった。

seki5

今でも町の字名(あざな)は小田原町と三島町。
橋は小田原町にあったので、小田原橋。

seki6

幕末の箱根宿。

seki7

箱根宿は山越えの休憩場所として幕府が造った町。
両隣の宿場町から住民を強制的に移住させた。

seki8

旅人は小田原宿を朝出発して、箱根の山を登り、箱根宿でお昼ご飯、その後は三島宿もしくは沼津宿まで行く、というのが一般的な旅の行程。

seki9

幕府はあえてこの険しい山越えルートを指定した?

seki10

江戸時代の道(赤)と江戸時代以前の道(黄色)。

seki11

尾根道(黄色)は水はけがよく見晴らしの良い道。
谷道(赤)は暗くてぬかるんだ歩きにくい道。

seki12

タモリさんたちは実際に山越えの街道を登ってみます。

seki13

石畳の急斜面を登る一行。

seki14
 
道の方向に対して斜めに敷かれた大きな石。

seki15

道が崩れないように排水させている。

seki16

道の端には側溝もあった。

seki17

悪天候が役立つ。

seki18

幕府はあえて険しいルートを選ぶことで、関所越えは大変だというイメージを植えつけた。

seki19

ところで、先ほどタモリさんは関所を避けて迂回するルートがあるのではないかという疑問を投げかけていました。

seki20

その疑問を解くため、タモリさんたちは東海道沿いの町、畑宿にやってきました。

seki21

畑宿は箱根寄木細工の発祥の地。

seki22

畑宿の職人、石川仁兵衛が作り始めたとされる。
江戸時代から旅人のお土産だった。

seki23

寄木細工職人と関所との関係を知るため箱根寄木細工の工房を訪れます。

seki25

7代目の寄木細工職人石川一郎さんに話を伺います。

seki24

続きを読む