
女性がいつまでも若々しく美しいのは別に良いと思います。
男性だって、年取っても老けこまずに颯爽としていたい、というのは素直な気持ちです。
ただ、美魔女という言葉がいただけない。
中世ならまだしも、魔女は現代ではドラマや小説などのフィクションの世界限定の言葉です。
こんな稚拙でセンスのないこっぱずかしい造語を素直に受け入れてしまうのは、女性特有の感覚なのでしょうか。
今回テレビタックルのスタジオに登場した”美魔女”たちは確かにおキレイでした。
もともとかなりの美人が頑張って、若さと美貌
言ってみれば、ただそれだけのことです。

話を聞いていても別に知性は感じませんでしたが、さすがに”外見美と知的美”で選ばれた方々だけに下手に発言してボロを出さない程度の世間知は持っている、という印象でした。
エステに行ったり、ヒアルロン酸注射を打ったりして、お金は相当かかっているようです。
箕輪さんというご主人が会社経営者の女性は美容代が月に7~8万かかるそうです。
美貌を維持するのもお金次第というのも、なんだかうすら寒い話です。
スポーツで言えば、美魔女コンテストはドーピングやり放題の競技会のようなものです。
どうせやるなら月の美容代5000円以下ぐらいで競って、自然に美しい中年女性を選出したらどうでしょう。
ただ、それだと美魔女マーケットが成立しないから、誰もやらないでしょうけどw

もし、自分に裁判員候補者のリストに載りましたという通知が来たら、どう思うでしょう。
正直、面倒なことになった、と思うと思います。
何か辞退する理由はないかと、必死で頭を巡らせることになるような気がします。
実際、裁判員を辞退する人は制度発足当初から半数を超え、2013年には6割を越えているそうです。
おそらく大多数は裁判員にはなりたくなくて、裁判員になった人は辞退する適当な理由が見つけられなかった人だったのかもしれません(もちろん、積極的に参加した方もいたとは思いますが)。
ただ、この番組でも紹介されていましたが裁判員を経験した人のアンケート調査では9割以上の人が裁判員を経験して良かったと回答しています。
日常から遠いものだった犯罪に真正面から向き合うことによって、社会や自分の在り方をもう一度考えてみる良い機会になるのかもしれません。
一方、司法制度内での裁判員制度の意義はどうなのでしょうか。
最高裁でひっくり返されるなら裁判員がいても意味がない、と元裁判官の人が言っていましたが、判決が覆されることは裁判員がいない時代にも普通にありましたし、本村弁護士が言っていたように裁判員制度の下での一審での判決がそのまま支持されることも多々あるようです。
法律の素人にかき回されたくないというのは、法曹関係者の本音かもしれませんが、そういう排他主義的な職人気質はどこの世界にでもあります。
医者が素人の患者に治療方針についてガタガタ言われるのはウザいのでしょうが、治療を受けるのは患者自身です。
だから、治療内容についてきちんと患者に説明すること(インフォームド・コンセント)が医師には義務づけられました。
法曹関係者が世間一般の標準的人間とは考えにくいから、裁判員制度が導入されたわけです。
今のところ、裁判員をやる方も、彼らを迎え入れる法曹関係者にもいろいろ思うところはあるようですが、制度としてはとりあえず機能しているように思えます。