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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:箱根

タモリさんたちは強羅駅にやってきました。

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実は強羅には箱根が№1になった秘密があります。

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強羅公園
広さ7400坪。
日本初のフランス式庭園があります。

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強羅の名前の由来は岩がゴロゴロしていたから。
それほど荒れ果てた土地だった。

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タモリさんの地質愛w

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赤い矢印の箇所が「あの子」。

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「あの子」は崩れている?

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山体崩壊で転がってきた岩が荒れ果てた強羅をつくった。

山体崩壊:火山の噴火活動により、山の一部が大規模に崩れ落ちること

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ここに強羅の温泉の秘密がある。

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熱っ!

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これは大涌谷でつくった温泉を持ってきたもの。

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大涌谷で温泉をつくる?

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箱根の回で大涌谷に行きましたが、その時に温泉をつくっている様子を見学しました。

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明治時代の木管。

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この木管をつなぎ合わせて温泉を大涌谷から引いてきた。

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強羅の高級リゾート地開発のため、木管を2kmもつないで温泉を引いてきたのです。

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山の斜面に大の字がある。

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強羅の別荘地のVIPのために、大正10年に大文字焼が始まった。

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庶民の素朴な疑問。

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林田アナ、VIPをいじってタモリさんにたしなめられるw

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箱根湯本駅前からスタート。

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箱根はブラタモリで何回か訪れています。

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旅のお題は「箱根はなぜ№1の温泉に登りつめた?」

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案内人は箱根町立郷土資料館、館長の鈴木康弘さん。

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箱根は全国の入湯客数でダントツの1位。
これが№1のゆえんです。

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しかし、江戸時代の温泉番付では、箱根は前頭9枚目。
一方、ブラタモリでも訪れた有馬温泉は大関、熱海は行司。
これらに比べると箱根はパッとしません。

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第114回 箱根の温泉

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タモリさんたちがまず向かったのは、湯本の商店街
ここで箱根の温泉の原点を探ります。

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箱根湯本のメインストリートを通り抜け、山の麓にある旧温泉街に向かいます。

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レトロなたたずまいの温泉旅館。

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温泉発祥の地
ここは湯本だけなく、箱根全体の温泉の発祥地だそうです。

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源泉が発見されたのは奈良時代(738年)。

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今でも源泉は湧いています。
創業1625年の萬翠楼福住のご主人は16代目。

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源泉を汲みあげてみる。
江戸時代まで、箱根の温泉はここしかなかったそうです。

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福住が所蔵する「七湯の枝折」。

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箱根七湯。

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一つだけでは弱いので、箱根は七つの湯をセットにして売り出していったのです。

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江戸時代の湯殿。

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混浴。

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当時はおっぱいの価値が低かった?

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テレビもバブル前後までパイデフレが続いたけど、2000年代ごろから自主規制でインフレの波が押し寄せる。

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痔の治療でお灸をしている。

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肛門ではなくて、肛門と局所の間に”会陰”という痔の治療穴があり、そこだと思います。
場所が場所だけに、今はそれほどポピュラーなツボではないようです。

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これはきつそうw

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七湯の枝折はやがてガイドブックとなり、「箱根七湯巡り」は観光として確立していきました。

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お風呂の欲望その① 最高級旅館のお風呂を連チャンしたい

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箱根でガンバレルーヤの二人が体験します。

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いくつかの旅館からチェックアウトとチェックインの間の4時間に撮影許可が出ました。

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やって来たのはススキの名所で有名な仙石原。

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金乃竹 仙石原

コンセプトは竹取物語。
内装には竹が1万本以上使われています。

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触っていいと言われる前に、水のオブジェに触るw

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水で濡れた手をケツで拭くw

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金乃竹suite「風」 ベッドルーム

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ウエルカムお茶菓子。

ガンバレルーヤの黄色い方はようかんを初めて食べたらしい。

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最高級の部屋の露天風呂。

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泉質:酸性ーカルシウムー硫酸塩・塩化物温泉

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記念撮影を始める二人。

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時間がないのでスタッフにせかされる。

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次行きます。

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次はメゾネットタイプの部屋。
天空suite「空」メゾネット型

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3階にあるお風呂。
眺望抜群。

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大はしゃぎで浸かる。

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時間がないのですぐ移動。

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トップシーズン料金ですと、一室2名ご利用で16万6400円でございます。

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2軒目は強羅花扇 円かの杜(ごうらはなおうぎ まどかのもり)。

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タモリさんたちは関所を出て、宿場町があった場所に向かいます。
今は宿場町の面影はありませんが、江戸時代の痕跡が見られます。

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この道は箱根駅伝の5区のルート。

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小さな川にかかる「小田原橋」が江戸時代の痕跡?

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この辺りは小田原宿の人たちが集まって住んでいたところ。

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箱根宿は小田原宿と三島宿の人が移り住み、新たにできた町だった。

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今でも町の字名(あざな)は小田原町と三島町。
橋は小田原町にあったので、小田原橋。

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幕末の箱根宿。

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箱根宿は山越えの休憩場所として幕府が造った町。
両隣の宿場町から住民を強制的に移住させた。

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旅人は小田原宿を朝出発して、箱根の山を登り、箱根宿でお昼ご飯、その後は三島宿もしくは沼津宿まで行く、というのが一般的な旅の行程。

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幕府はあえてこの険しい山越えルートを指定した?

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江戸時代の道(赤)と江戸時代以前の道(黄色)。

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尾根道(黄色)は水はけがよく見晴らしの良い道。
谷道(赤)は暗くてぬかるんだ歩きにくい道。

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タモリさんたちは実際に山越えの街道を登ってみます。

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石畳の急斜面を登る一行。

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道の方向に対して斜めに敷かれた大きな石。

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道が崩れないように排水させている。

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道の端には側溝もあった。

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悪天候が役立つ。

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幕府はあえて険しいルートを選ぶことで、関所越えは大変だというイメージを植えつけた。

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ところで、先ほどタモリさんは関所を避けて迂回するルートがあるのではないかという疑問を投げかけていました。

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その疑問を解くため、タモリさんたちは東海道沿いの町、畑宿にやってきました。

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畑宿は箱根寄木細工の発祥の地。

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畑宿の職人、石川仁兵衛が作り始めたとされる。
江戸時代から旅人のお土産だった。

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寄木細工職人と関所との関係を知るため箱根寄木細工の工房を訪れます。

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7代目の寄木細工職人石川一郎さんに話を伺います。

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箱根関所跡からスタート。

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あいにくの雨模様。

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寄木細工のタモテバコ。

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旅のお題は「鉄壁!箱根の関所はなぜ破れない!?」。

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タモリさんは箱根の関所は有名無実だと思っていた。
お題とはまったく逆のイメージ。

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最初の案内人は、箱根関所長の大和田公一さん。

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箱根に関所が置かれた250年の間に関所破りをした者は5人。
そのいずれもが捕まっている。

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箱根の関所は江戸時代最も通行量が多かった東海道の関門の一つ。

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一番の難所だった山越えの道、箱根八里の中間
点に関所は置かれていた。

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箱根八里と言われると、国民の大半は氷川きよしを思い出すような気がするw

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箱根の山は天下の険♪
「箱根八里」という題だったのか…。

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「箱根八里」の歌詞の「一夫関に当たるや万夫も開くなし」とは、一人の兵が関を守れば万人でも攻め落とすことはできない、という意味。
箱根の関所は鉄壁だった。

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現在タモリさんたちがいるのは京都側の関所の前。

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今の国道1号は昭和になって作られた道。
江戸時代は山でした。

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特別に門番とお役人付きで関所の門を通過。

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発掘調査の後、江戸時代そのままの形で復元された箱根の関所。
門と門の間のわずか38mが旅人にとっての大きな関門でした。

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ここで旅人はチェックされる。

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武器を展示して旅人を威嚇。

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柵だけは一部しか再現できなかった。

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江戸時代は山から湖の中まで柵が続いていた。

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関所の立地を確認するため、タモリさんたちは高台を目指します。

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