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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:碓氷峠

主婦(37)女性からの投稿、「群馬の横川サービスエリアで売っている”峠の釜めしの容器”について悩んでいる。使い捨てにするにはもったいない立派な器は簡単に捨てられず、結局戸棚の隅に保管して使うことはない。何か使い道はあるのか?」、といった内容でした。
 
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関東の人にはおなじみの「峠の釜めし」。

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マツコ&有吉さん宅にも何個かこの釜めしの器があったようです。
自宅はもちろん、昔はどこの家に行っても、1個ぐらいは見かけたような気がします。 

昭和33年から発売して、1日1万個以上の売り上げがあるということですから、ざっと計算してもう2億個以上器が製造されたことになります。

マツコさんの家には5個ぐらいあったそうですが、やはり使い道に困り、たまに白米を入れてみるそうですw

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持ち帰られない空き釜は回収されて、土に戻されるそうです。
昔ほどあの釜を家庭で見なくなったのは、今は持ち帰る人が減っているからではないでしょうか。

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釜を使ったご飯の炊き方については「おぎのや 釜めし 作り方」で検索。
このサイトのようです→峠の釜めし

一人暮らしの人などは一人前のご飯を炊くのにちょうどいいですね。 

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~ネットで紹介されている釜の利用法~

① パエリア

釜飯の応用編。

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② 釜揚げうどん

釜→釜揚げの連想?

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③  チ―ズフォンヂュ

直火にかけられるのが強みですね。

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④ 植木鉢

なんかいい感じw

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⑤ 猫のエサ入れ

猫的にはどうなんでしょう?

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⑥ スピーカー

有吉くんにはバカにされたスピーカーですが、番組スタッフが実際に試してみたところ結構使える模様。

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音楽は釜だけにカルチャークラブの「カーマは気まぐれ」w
カマカマカマカマカマ、カミリィオン~♪

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皆さんいろいろ工夫して再利用しているようです。
ということで、投稿者も使い道を考えてみてくださいという意味で投稿は不採用。

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ブラタモリ2回目の軽井沢。
前回のテーマは軽井沢の町づくり(8月29日放送 軽井沢はなぜ日本一の避暑地になったのか?)でしたが、今回のテーマは「人はどう峠を越えてきたか?」。

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標高が1000メール近い軽井沢。
今は新幹線で東京から1時間ほどで来られる軽井沢ですが、昔は大変な道のりだったに違いありません。

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中山道69次 江戸・日本橋~京都・三条大橋 533.9㎞

 一行はまず中山道の三大難所の一つ碓氷峠に赴きます。
峠は上州(群馬県)と信州(長野県)の境界になっています。

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峠の頂点は県境からちょっと離れた場所。
ここで水を流して分水嶺を確認。

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ここを境にして、群馬県側に降った雨は太平洋へ、長野県側に降った雨は日本海に流れてゆきます。

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峠の山道で「旧中山道」の標識を見て、有名な女子アナ伝説を思い出す桑子アナw

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関東平野の横川から碓氷峠まで標高差が800mありますが、軽井沢は高原なので碓氷峠との標高差は200m。
こういう峠は片峠と呼ばれるそうです。

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横川(群馬県)から碓氷峠に向かう峠道は意外になだらか。
これは溶岩が流れたなだらかな尾根を選んで中山道を整備したからだそうです。

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江戸時代の碓氷峠越えのために人工的に整備された集落、坂本宿。
そういえば、町割りが細長いのは軽井沢宿も同じでした。
ここも税金対策でしょうか?

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次に、タモリさん一行は明治時代に造られた鉄道の橋を見学。
碓氷第3橋梁(通称:めがね橋)。
明治25年(1892年)に峠を越える鉄道とともに完成しました。
現在は遊歩道になっているそうです。

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富国強兵をめざす明治政府にとって東京と日本海側を結ぶ鉄道は急務。
横川駅~軽井沢駅間(標高差約600m)に26のトンネルと18の橋を造り、1年9か月で鉄道を開通させました。

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明治23年(1890)「碓氷峠ヲ開鑿シ横川軽井沢両駅鉄道連絡ノ件」

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