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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:石垣


斉明天皇の国造りの痕跡は、水時計の他にもありました。

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ここは字石神。

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明治時代に田んぼから出土されました。

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酒を飲む男と後ろから抱きつく女。

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飛鳥時代は迎賓館の噴水だった。

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本物は別の場所に。

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こっちはハリボテというか書き割り。

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石神から500mほど離れた田園風景。
ここに何がある?

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この列の田んぼだけ周囲よりも低い。

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飛鳥時代、斉明天皇がここに運河を掘らせた。

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石垣の石を運ぶために、ここに運河を作った。

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日本書紀に記載されていた石垣が見つかった。
タモリさんたちは石垣がある山に移動。

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船200艚で運んだ石垣の石。

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想像復元図。

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石垣を巡らせた理由は同じ山の上にありました。

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かの有名な酒船石。

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用途不明とされています。

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手塚治虫氏は「三つ目族がここで薬を作った説」を提唱。

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松本清張氏のゾロアスター教説。

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浅野アナの流しそうめん説w

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ああ、三輪そうめんも奈良だしね、オイッ。

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山の麓で発見された亀型石造物。
この石造物から、山は斉明天皇が政(まつりごと)を行った場所ではないかと考えられています。

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ここの水を汲み、山の上の酒船石で政を占う。

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飛鳥時代は石の時代だったのね。

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タモリ「知ることとわかることはぜんぜん違う」
飛鳥時代を実感したタモリさんでした。

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エンディング♪

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先週に引き続き、比叡山です。

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琵琶湖に架かる虹。

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タモリさんたちは延暦寺の西塔というエリアにやってきました。

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延暦寺西塔の案内人は、比叡山延暦寺の磯村良定さん。

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僧たちの修業の場、にない堂。

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先週はここまででした。

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通常非公開の比叡山の修業の場。

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常行三昧:
阿弥陀仏の周りを念仏を唱えて歩き続ける修行

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3ヶ月間ひたすら念仏を唱えて歩き続ける。

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食事とトイレと沐浴以外は常行三昧。

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意識が飛んだまま歩き続けるので壁にぶつかる。
日本企業のブラック体質はこういうところから来ている?

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この暗さの中で修行をおこなう。

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タモリ修行中。

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こんなこと90日もできませんw

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ちゃんと修行すると目の前に仏様が現れるらしい。

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普通の人は雑念や疑念が湧いてくる。

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ベテラン演者の考えることw

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修業をすることで、僧たちは自分の中の輝きを導き出せると考えた。

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建物にも修行を大切にする気持ちが現れている。

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シンメトリーの建物が渡り廊下でつながっている。

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右側が法華経を教える法華堂。
左側が念仏を教える常行堂。
法華経と念仏が同等に扱われている。

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最澄は唐から様々な教えを持ち帰っていた。

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様々な教えから様々な宗派が生まれる。

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比叡山発祥の”アレ”とは?
タモリさんたちが向かったのは、延暦寺の境内の一つ、横川エリア。

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比叡山はおみくじ発祥の地。

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お賽銭を借金する人w

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おみくじは中にある。

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気軽にやるなよ、とw

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おみくじを引く前に悩みを書く。

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名古屋城正門前からスタート。

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大都市なのに通過点になりがちな名古屋。

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正門をくぐるとすぐにしゃちほこのレプリカがある。
2メートルある。

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名古屋人の友達が多かったので、名古屋弁が得意になる。
タモリさんの名古屋ネタの秘密。

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旅のお題は「尾張名古屋は家康でもつ?」。

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最初の案内人は名古屋城の発掘を担当している学芸員の市澤泰峰さん。

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信長や秀吉は名古屋(尾張)出身だが、家康は三河の人。
なぜ「尾張名古屋は家康でもつ?」。

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戦国時代、尾張の中心地は清州だった。

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清州は名古屋城の北西6kmに位置する城下町。

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1610年に新たな城と町を作ったのが徳川家康。

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今回は家康が名古屋でどんな町や城を作ったのかを見ていきます。

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まずタモリさんたちが向かったのは、天守のある中心。

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名古屋城大天守。

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名古屋城は昭和20年の空襲で焼失しましたが、写真などの資料が多く残っていたのでほぼ忠実に再現されました。

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名古屋城といえば金のシャチホコ。

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うろこのレプリカ。
シャチホコ二匹合わせてうろこ430枚、純金200㎏分が使われている。

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江戸から昭和にかけて、3回ほどうろこは泥棒のチャレンジを受けている。
江戸時代大凧に乗って盗もうとした者もいた。

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昭和12年の新聞。
うろこが58枚盗まれる。
図面を描く作業で、城に足場を組んでいたそう。

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大阪で売ろうとして、捕まる。

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続いてタモリさんたちが向かったのは、本丸の東側

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搦手馬出(からめてうまだし)という空間。

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搦手馬出?

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どうやって海を埋め立てのか?
その方法を知るため、タモリさんたちは街の中心部に戻ってきました。

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今度は旧西国街道を大阪方面に向かって歩きます。

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古い石垣があります。

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江戸時代の尾道。
埋立地が石垣で囲まれているのがわかります。

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絵図に描かれた石垣に囲まれた神社。
今もあるので行ってみることにします。

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骨董品屋の屋根に猫。

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厳島神社は海の神様を祀る。

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神社の裏手に回ると石垣が…。

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タモリさんが立っている場所は昔は海だった。

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尾道は石垣を使って埋め立て地を造成していたことが分かりました。

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この埋め立てによって生まれた魅力を探りに、タモリさんたちは海沿いにやってきました。

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川のように細い尾道水道は、埋め立てによって生まれました。

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フェリーで尾道水道を渡ります。

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対岸まで200mほどなのですぐに着きます(約3分)。

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今まで巡って来た対岸を見ると、寺社や住宅が見えます。

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しかし、江戸時代の絵図には山の斜面に民家はありません。

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神聖な場所だった山には寺や神社以外は建てられませんでした。

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坂道の家ができたきっかけは何だったのでしょう?

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タモリさんたちはさきほどの厳島神社のそばにある八幡神社にやってきました。
ここを案内するのは尾道学研究会の天野安治さん。

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八幡神社の参道を登ると、坂道に家ができたヒントがあるそうです。

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線路を渡って神社へ。

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線路はかなりカーブしている。

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山際を通っている線路。

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