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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:猿岩石

鶴瓶×さまぁーずのトーク番組SP。

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ゲストはレギュラー12本を抱える超売れっ子の有吉弘行さん。

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子供の頃から「お笑い」をやりたかった有吉くん。
当時は「俺たちひょうきん族」や「THE MANZAI」などを観ていたそうです。
小学生の頃のはモテていたそうで、コンプレックスといえば父親が働いていないことぐらいw
 
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18歳の時に「オール巨人公開弟子審査会(1993年3月OA)」というオーディション番組に応募。
見事合格し、巨人師匠に弟子入りしましたが、7か月後には辞めてしまったそうです。
理由は(巨人師匠を)愛していなかったからw

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巨人師匠には「2年間社会人を勉強して戻っておいで」と言われたそうですが、有吉くんは2年を待ち切れず故郷広島で友人の森脇君を誘って上京。
あとはご存知の通り、猿岩石として「進め!電波少年」の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」に挑戦し、本人たちも知らない間に日本では知らない人がいないほどの人気者になっていました。

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帰国後には歌や書籍を出してミリオンセラーとなり、CMや映画にも出演しました。
CD「白い雲のように」 113万枚
「猿岩石日記」    250万部

本人としては自分の得意ではない分野(歌や演技)で評価されてしまったので、その点が悩みではあったようです。

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元相方の森脇君は昨年「しくじり先生」で再デビューしたようですが、有吉くんは森脇君と会っていないし、連絡も取っていないそうです。
森脇君の話が出たところで、有吉くんは腕を組み始めたので、この辺りはあまり触れてほしくないのかもしれません。

おそよ2年ほどの猿岩石ブームが去った後の話。
ブームのさなかでも有吉くんはこんな人気が続くわけがないと思い、派手な暮らしはしていなかったそうです。
なのでブーム後も地味な生活を続け、貯金を少しずつ使って暮らしていたそうです。
自分たちのブームが終わっていくのを感じたのは、「一緒に仕事している人の質が落ちていく時」。
有吉くんらしい、リアルなブーム終焉の実感です。

とはいえ仕事がなくなっても有吉くんは風俗遊びは続けていたようで、そのあたりの事情はさまぁ~ずの二人が詳しそうでした。
大竹「テレビでは言えない」w
有吉くん本人によると、日本人だと(自分が)顔バレしているので外国人の出張風俗を呼んだそうです。
セーラー服を着たロシア人が自宅を訪れたので、マンションの管理人さんに白い目で見られたそうですw

不遇時代のさ中も「内村プロデュース(2000~2005年)」で有吉くんは猫男爵というキャラクターでたびたび出演。
他人の家の風呂に入って帰る猫男爵のコーナーは人気を呼びました。 
 
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不遇時代にさんざんお世話になった上島竜兵さんには恩返しをしたい気持ちはあるのですが 、本人がすっかり枯れてしまったので水をやってもダメなんだそうですw

MCとしての有吉弘行はアイドル番組から。
「アイドルの穴~日テレジェニックを探せ~」、ファミリー劇場「AKBネ甲テレビ」などに出演し、MCとしてのさじ加減を覚えていったそうです。 

そして、ほぼ同時期に再ブレイクのきっかけになった「あだ名」が評判になってゆきました。
これがもう10年前のことになるそうです。

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鶴瓶「油トカゲはおもろいで」w

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大竹「言いにくいけど、面白いよね」

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ちなみに鶴瓶さんのあだ名は「無駄話嘘太郎」w

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大竹さんは「変態エロ眼鏡」。
大竹「雑だもん、考えてないもん」w

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三村さんは「ポンコツ人間」w

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見事に再ブレイクを果たした有吉さんですが、もしまた売れなくなったらもう1回盛り返すパワーはない、そうです。

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そのときは(芸能界を)辞めるつもりのようです。

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有吉くんは人づきあいは良くなく、共演者の連絡先はほとんど知らないし、スタッフと飲みに行くこともあまりないそうです。
鶴瓶「何とかせなアカンで。結婚せなアカンで」
有吉「”結婚せなアカンで”って言われるのはセクハラですって最近訴えられるように…」
どうもこの話題も有吉くんは広げたくないようでしたw

三村「大竹さんは有吉くんのおチンチン好きだもんね」
大竹「有吉のおチンチンカッコイイんすよ。きれいなおチンチン。理想的なおチンチン」 w

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有吉「(まだ結婚していない独身の芸人は)今田さん、岡村さん…」
三村「つぶやきシロー」w

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会社員(37)男性からの投稿、「大ファンのアーティストのライブに行ったが、後ろにいた男が大声で歌ったり、叫んだりするのでとてもうっとうしかった」といった内容でした。

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これについてマツコさんの意見は「人による」ということでした。
観客が一緒に盛りあがった方が良いアーティストで、大声を出す観客も上手に周囲のファンを煽れば、「それは不愉快ではなく、むしろライブの一つの醍醐味になる」。

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したがって、これは「(アーティストと観客、観客と観客の)相性の問題で、一概に善悪は語れない」、という事でした。
 
ここから、ライブ中観客席側にマイクを突き出して観客に歌わせるアーティストの意図は何なのかという話になります。

マツコさんの見解によればあのパフォーマンスの理由は、「(アーティストが)疲れている」からw
 
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なので、アーティストがベテランの場合、ファンの半数は疲れているアーティストを「助けてあげよう」という気持ちで歌うのだそうです。

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話題は次にアンコールに移ります。

最近ミュージシャンの西川貴教さんがアンコールについて発言して物議を醸し出しましたが、アンコールがさほど盛り上がっていない場合は無理してやらなくてもいいのではないかというのがマツコ有吉二人の見解でした。

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有吉くんも猿岩石時代、コンサートで”細いアンコール”を経験したことがあるそうです。
 
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猿岩石は印象としては「白い雲のように」しか歌がないような感じですが、当時アルバムも出していたので、持ち歌が20曲近くあったのだそうです。 
 
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コンサートツアーもやり、コンサートの演出は堤幸彦監督がやっていたそうです。

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 当時は「利権、利権で(有吉談)」、様々な各分野のトップが猿岩石に絡んで仕事をしていたのだそうです。

「白い雲のように」は藤井兄弟の作詞作曲ですが、藤井フミヤさんが吹き込んだ「白い雲のように」のデモテープを有吉くんは持っていたそうです。

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そのテープは引っ越しのドサクサで失くしてしまい、今はないそうです。

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この猿岩石フィーバーの頃、夏目三久さんはまだ小学生でしたが、「猿岩石日記」をクラスで回し読みしていたそうです。

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当時の猿岩石の本、CDの印税は凄かったのではないかという話になり、
有吉「(猿岩石当時)22から3ぐらい…23ぐらいですよ」
夏目「(目を輝かせて)お金の話ですか?」

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 有吉「22、3サイですよ。23億あったら、やってねーよ、もう!」

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この夏目ちゃんは見たくなかったww

そういう猿岩石時代の有吉くんの経験は一般の人間には経験できないことなので、マツコさんは羨ましいと言います。

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それでも、有吉くんは、”怖い思い”もしたと話します。
グレイなど人気ミュージシャンが出演したお台場で開催された5万人ライブでは、猿岩石が舞台に立った時は、5万人の観衆が「シーン」としたそうです。 
 
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とにかく引っ張りだこの猿岩石でしたが、「お笑い番組でも歌番組でもお芝居でも、俺らが一番実力ないのよ、素人なのよ」という状況だったそうです。

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だから、どこに行っても勝負できるものがないので、常に”場違いな感じ”があったのだそうです。 

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マツコさんにすると、そういう特別な経験を乗り越えてきた有吉くんが羨ましく、自分の人生にもそういうドラマチックな何かがほしいのだそうです。

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一般人から見れば、マツコさんの人生も十分ドラマチックに思えるのですが…。

ここで話はコンサートに戻ります。 
 
コンサートで良い席が取れそうもないときは、アリーナの一番後ろがマツコさんのおススメ。
スぺ-スが空いていて、後ろに邪魔者もいない、ということです。

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マツコさんも10年前ぐらいまでは、フジロックなどのフェスによく行っていたそうです。

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ゴールデン☆ベスト ~白い雲のように~
猿岩石
コロムビアミュージックエンタテインメント
2008-08-20





懐かしい曲とともに森脇先生登場。

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1996年のミリオンヒット「白い雲のように」。
昔から思っていましたが、有吉くんより上手です。
ただ、スーツ姿なので、カラオケが上手いサラリーマンにしかみえません。

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一般人としては初のしくじり先生。
今回は”根気がなくて芸人をやめちゃった先生”として教壇に立ちました。

とにかく、森脇先生は根気がないというか、飽きっぽいというか、熱しやすく冷めやすい性格のようです。

中高時代、まず森脇先生は「ビーバップ・ハイスクール」を読んで感動、そのまま即ヤンキーに。



次に「柔道部物語」を読んで感動、柔道部に入部します。

柔道部物語(1)
小林まこと
講談社
2012-12-21


幼馴染の有吉くんは黒帯を取りましたが、森脇先生は素行が悪くて昇段試験に連れて行ってもらえなかったそうです。

さらに「湘南爆走族」を読んで、暴走族になります。



若い頃は何かにかぶれてバカなことをするのはよくあることですが、これだけフットワークが軽い人も珍しい。

森脇先生は高校を中退した後、有吉くんがオール巨人に弟子入りし、芸人を目指しているのをテレビで知り、これもまた大いに影響を受けます。
そして、有吉君が広島に帰京した際、有吉くんに誘われて上京します。
この時点で、森脇先生には芸人なろうという気持ちはあまり強くなかったそうです。
なんか面白そうだから、というノリでコンビを結成したようです。

2004年にコンビを解散して森脇先生がホストクラブ(番組ではサパークラブと言っていたが当時はそう報じられていた)のオーナーに転身したという写真誌の記事を読んだときはちょっと驚きました。
ギョロ目でちょっとクセがありそうな有吉くんと違い、森脇先生は見た目はシュッとした好青年風だったので、水商売の道に進んだというニュースは意外でした。
でも、こういう性格なら無理からぬことだったわけで、有吉くんも彼のことはよく知っていたはずだから彼が芸人をやめたのは意外ではなかったのかもしれません。

さて、話を戻しますが、上京後、彼らは幸運にも「進め電波少年!」のオーディションに合格します。
 
1996年4月、ひとまず香港に連れて行かれ、そこから苦難の旅がスタートします。
 スタート直前まで、彼らはこの企画を知らされていなかったそうです。
当時の電波少年はとにかく駆け出しの芸人にムチャをやらせる番組でした。
彼らは所持金10万円で、ロンドンまでヒッチハイクでいくよう命じられます。 

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この旅は相当に過酷だったようです。

二人はある夜相談し、どちらかが大けがをすればこの企画が中止になって、日本に帰れるのではないかと考えました。
二人は話し合った末、ジャンケンをし、負けた方が車に飛び込んで大けがをすることにしました。
負けたのは有吉くん。
翌日有吉くんは車がたくさん走る大通りに立ちます。
車に飛び込もうとするのですが、当然怖くてなかなか飛び込めません。
森脇「押そうか?」
有吉「いや、自分のタイミングで飛び込むから」
もう会話がクレイジーですw
ついに意を決した有吉くん、3、2、1のカウントとともに車に飛び込みます。
でもどうしても恐怖心があるので中途半端な飛び込みになり、足の先だけ車に轢かれたそうです。
有吉くんはこの後足先の痛みというテレビでは言えない地味な痛みを抱えたまま旅を続けたそうです。

このエピソード(テレビでは初めて話したそうです)は、このヒッチハイクの旅がいかに辛いものだったかをよく物語っています。

しかし、こうした苦労の甲斐あり、二人が旅を終えて半年後に帰国すると、猿岩石は日本中が知る人気者になっていました。
3万人のファンが待つ西武球場で凱旋帰国をした後、歌を出し、本を出し、写真集を出し、全国ツアーで日本各地を巡ります。

しかしながら、芸人としてのキャリアがあったわけでもない二人のアイドル的な人気もやがて下火になり、もともと芸人志向があったわけでもない森脇先生はコンビを解散すると副業だったサパークラブ経営に本腰を入れることになります。

ところが、いい加減な素人経営が仇となり数か月でサパークラブを閉鎖。
その後、森脇先生はアニメ制作会社などいくつかの会社のサラリーマンを経て、現在は輸入貿易会社の会社員をしているそうです。

ちなみに森脇先生がサラリーマンになったきっかけも、また漫画。
サラリーマン金太郎を読んでその影響を受けたそうです。

サラリーマン金太郎 第1巻
本宮 ひろ志
サード・ライン
2012-10-13


しかし、芸能人だった頃は一般人にチヤホヤされていた森脇先生も、自分が一般人になって働き始めてからは元芸能人ならではの”地獄”を経験したそうです。 

一つはヒッチハイクいじり。
例えば、職場の上司や同僚とタクシーに乗る際、人数が多いと必ず「森脇はヒッチハイクで来い」と言われるそうです。 
その度に、ヒッチハイクするマネをしてツッコむというノリツッコミをやるそうです。
ウケなくなるまで、延々とこのネタが振られるそうです。
 
二つ目は貧乏扱い。
芸能人をやめたので貧乏になったと勝手に思われているらしく、定食屋などに入ると、何も言っていないのに大盛りがサービスされるそうです。
森脇先生は少食なのでこれがツライそうです。 
 
三つ目は麻布。
芸能人がよく行く麻布・西麻布界隈には近づけないそうです。
未だに芸能人気取りと思われるのがイヤなのだそうです。

四つ目はカラオケ。
カラオケがある店に入ると、誰かしらが持ち歌の「白い雲のように」を入れるそうです。
歌ったところでさしてウケないのですが、経験上歌った方が楽なので曲がかかると歌うそうです。 

一つ一つは些細なことですが、これらが延々際限なくり返されると、まさに無間地獄でしょうね。 
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