Halohalo online

ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:泥岩









飛翔する鷹。

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タモリさんたちは本物の鷹と二鷹の関係を探ります。

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鷹匠の佐藤将寛さん。

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鷹アップ。

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家康の鷹狩り好きは有名だった。

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タモリさんと鶴瓶師匠の鷹匠体験。

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おっかなびっくりw

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呼ぶと戻ってくる。

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家康は鷹狩りが大好きだったが、二鷹のルーツはこの鷹ではない!?

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江戸の時代の書物(甲子夜話)に家康が話したとされる言葉が書いてある。
「高キハ富士ノ山ナリ、ソノ次ハ足高山ナリ…」

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右手にぼんやり見えるのが足高山。
二鷹のルーツは山だった。

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現在足高山は「愛鷹山」と書きますが、足高山の「二高」が「二鷹」に変わったことと関係があるのかもしれません。

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家康が鷹好きだったことを知るために、タモリさんたちは家康とゆかりの深い久能山に向かいます。

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ロープウェイのドアにも徳川家の葵の御紋が。

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タモリさん、前よりは高所になれた?

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久能山東照宮。

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東照宮というと、普通日光を思い浮かべるが、一番初めに作られた東照宮はここ。
東照宮:家康をまつる神社

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東照宮は全国各地に50社以上ある。

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家康は自らの遺体を久能に埋葬するようにと、遺言しています。

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いつものように賽銭を借金するタモリさんw

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社殿正面にある唐門に、家康の鷹好きを示すものがある。

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門に施された鷹の彫刻。

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裏に回ると鷹の顔がある。

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家康の鷹好きを有名にしたのは、この山門の彫刻なのかもしれません。

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鶴瓶、退屈のあまり通行人を襲うw

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三茄子についてはこの久能山の参道でわかる。

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鶴瓶師匠、ここで離脱宣言。
本来の仕事に行きます。

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久能山東照宮正面入り口。

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柵の下は断崖絶壁。

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案内をするのは静岡大学の小山真人先生。
この崖と茄子は関係がある?

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高野山の総本山、金剛峯寺からスタート。

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まずお参り。

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今回の旅のお題「高野山はなぜ”山上の仏教都市”に?」。

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タモリさんの標高が測れる時計で見ると、ここは標高約800m。

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高野山は標高800メートルの山の上に東西4km、南北3kmの町が広がる不思議な場所。
今回はその謎を解き明かしてゆきます。

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案内人は宮大工の棟梁、尾上恵治さん。
高野山の町中の建築に携わってきました。

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高野山のお寺の数は?

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リアクション良すぎw
117あるそうです。

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高野山金剛峰寺:
山全体が境内 その中に117の塔頭寺院がある
現在いるのはその全体を統括する場所

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つまり、高野山はお寺の中に町がある!

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なぜこのような山上の仏教都市が生まれたのか?
それはまず、ここは人が生きていくために必要なものに恵まれていたから。

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タモリさんたちが次にやって来たのは町のメインストリート
ここで高野山が奇跡的に恵まれていたものが何かわかります。

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尾上さんが建てたコンビニ。

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やっぱり、水か。

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今は暗渠になっていますが、昔はここに御殿川という川が流れ千手院橋という橋が架かっていました。

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江戸時代の絵図で千手院橋を確認。

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日本最高点にあるスクランブル交差点。
週末は渋谷より外国人の比率が高いそう。

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水の流れを確認。

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高野山は山の上にもかかわらず、豊富な水に恵まれた都市だった。

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豊富な水をもたらした高野山の地形と地質はどういうものか?
その答えを探しにあるお寺(不動院)にやってきました。

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池の水はいくらでも湧いてきて涸れることはない。

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水源のある場所に向かう途中、次の案内人が待ち受けていました。
産業技術研究所の栗本史雄さん。
地質の専門家です。

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水源のあるあたりに到着。

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高野山の町を朴の葉で例える。

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中央が一番低いので周囲の水が集まって川ができる。

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高野山の地形図と水の流れ。

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タモリさん一行は再び平泉の街に戻りました。
やってきたのは毛越寺(もうつうじ)。 
奥州藤原氏2代、基衡が建てた寺院です。

街が繁栄すれば、欠かせないのが水。
毛越寺をみると、平泉の水事情が分かるそうです。

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 平安時代の庭園をそのまま残す毛越寺。

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本堂の前に大きな池がある浄土庭園。
仏の世界を表現しています。

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ここの池の水は湧き水。
平泉は湧き水が豊富。
平地に泉が湧くので、平泉。 

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なぜ平泉には湧き水が多いのか?
その謎を解くため、毛越寺の裏手の山の斜面に向かいます。

斜面のくぼ地に毛越寺の水源を見つけました。
斜面は地層の断面が露出しやすい場所(ヘリ)。
そのため、地中を通ってきた水が湧き出すことが多い。

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学者ギャグw

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一行は長靴に履き替えて、さらにに移動します。

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ここでは地質の専門家、大石雅之さんが案内します。
大石さんがこのあたりの地層を自作の模型を使って説明します。

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地盤に圧力がかかると、硬い地層はバリっと割れて断層になる。
上の方の柔らかい地層は割れずにぐにゃっと曲がる。

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この辺りは砂岩が泥岩に挟まれた地層が斜めに立っている。

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図にするとこんな感じ。
青い部分が砂岩の層。
茶色い部分が泥岩の層。

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普通は泥岩の層が上にあるのであまり水が下に染みこまない。

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ここは露出した砂岩の層に水が染みこみ、ヘリから大量に水が湧く。

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最後にタモリさん一行は街の中心部へ。
かつて大きな寺があった場所です。

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無量光院は3代秀衡が建てた寺院。

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秀衡は理想の都の姿をこの寺で表現しようとしました。
お堂の背景に山があり、山のかなたから阿弥陀様がやってくる、という構図。

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奥州藤原氏は、極楽浄土をこの世に持ってきたかったのでは…。

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「 黄金の都・平泉はなぜ栄えたか?」のまとめ

金が大量に採れた。
北上川という水運に恵まれた。
北からも南からも物資が来た。
水には苦労しない。
まさにヘリのおかげでここまで来た町。

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わんこそば。

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おまけ。
砂金を探しながら謎のオリジナルソングw

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次回(12月17日)は目黒です。

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