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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:法隆寺


タモリさんたちは東院伽藍のすぐ近くにやってきました。

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ここで見るべきポイントは高低差。

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住所は法隆寺北。
東院伽藍から西院伽藍に向かって歩いています。

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西院伽藍の五重塔が高い場所にあるように見える。

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法隆寺は地盤がしっかりしている尾根を削って建てられている。

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地盤がしっかりした場所に建てないとピサの斜塔みたいに傾いてしまう。

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法隆寺は当時の都、飛鳥から20kmも離れている。

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なぜ聖徳太子は斑鳩に法隆寺を建てたのか?

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タモリさんたちは斑鳩の立地を探るため、7キロ離れた明神山にやってきました。

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法隆寺の背後に比叡山が見える。

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右手には東大寺と若草山。

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大阪方面を見ると淡路島と明石海峡大橋が見える。

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ところどころ森のように見えるのは百舌鳥古市古墳群。

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あべのハルカスもみえる。

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大阪平野と奈良盆地、両方の名所を一望できる絶好のロケーション。

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ここを流れる大和川は、かつては海の玄関口の難波までつながっていた。
都から船で海を目指すとき、斑鳩は必ず通る場所。

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斑鳩が交通の要衝だったから、聖徳太子は法隆寺を斑鳩に建てた。

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また、随からの使者が大和川を上って斑鳩を通るとき、法隆寺を目にすることになる。

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法隆寺は国際的に認められるためのシンボルとしての役目も果たしました。

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新人さんの感想。

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エンディング♪

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次回(4月18日)は奈良飛鳥です。

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今日は奈良の法隆寺。

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浅野里香アナ。

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積極的に距離をつめてくるタイプ。

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タモリから見れば生まれたて。

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法隆寺は飛鳥時代、607年創建とされる。

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旅のお題は「なぜ法隆寺は1400年愛され続けるのか?」

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案内人は斑鳩町教育委員会の平田政彦さん。

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法隆寺は誰が作った?

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1万円札の顔が聖徳太子から福沢諭吉になったのは、1984年。
20代では知るわけない。

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聖徳太子(厩戸皇子)は仏教を政治の中心におき、外交にも尽力した。

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第161回 法隆寺

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法隆寺境内図。
西院伽藍と東院伽藍がある。

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西院伽藍。
世界最古の木造建築です。

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ブラタモリパワーで本尊のある金堂へ。

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釈迦三尊像。

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釈迦三尊像の両サイド2体は東京に出張中。

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飛鳥時代の四天王像は鬼を踏んづけていない。

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10円切手にもなった観音様の壁画。

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釈迦三尊像の裏側に文字が書かれてる(光背銘文)。

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「尺寸王身」
聖徳太子の等身大。

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このお釈迦様は聖徳太子の等身大。

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聖徳太子は本尊を自分にした?

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