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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:桃太郎


鬼が島を捜しにタモリさんたちが訪れたのは、総社市。

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子供の頃、磯田少年はこのへんの石仏の拓本をとって歩いて、女の子たちにいじめられた。

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渋すぎた小学生w

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このあたりの歴史に詳しい平井典子さんが案内人として加わりました。

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田んぼの中に一段高い部分(赤)がある。

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これは古代の土塁。

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海側から攻めてきた敵をここで食い止める。

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山の上に鬼ノ城。

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鬼ノ城こそが鬼が島。

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攻めやすい平坦な部分に土塁を築いている。

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話は白村江の戦いまで遡る。

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白村江の戦い(663年):
日本・百済連合軍が唐・新羅連合軍に大敗を喫した戦い

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ヤマト政権は守りを固めるため西日本各地に城を造らせました。

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鬼ノ城はヤマト政権が吉備に造らせた城だが、記録からは消されている謎の城。

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鬼ノ城に向かって標高400mを登る。

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この花崗岩の割れ目はどうやってできた?

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マグマ(花崗岩)が冷え固まるときに縮んで割れ目ができる。
さらに地表に出ると風化が進んでゴロゴロとした大きな石ができる。
解説をしているのは岡山理科大学の能美洋介先生。

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花崗岩が風化すると真砂土になる。
このあたりが花崗岩地帯であることは鬼ノ城を語る上でとても重要。

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鬼ノ城。

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JR岡山駅前からスタート。

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岡山といえば、桃太郎。
よくわからないけど、岡山が桃太郎推しなのは知っている。

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旅のお題は「岡山といえば”桃太郎”なのはナゼ?」

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案内人は歴史学者の磯田道史先生。
BSでよく見る先生だ。

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岡山のアパート。

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鉄道も桃太郎。

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吉備線が桃太郎線に名称変更。

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すっかり桃太郎ランドになってしまった岡山。

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桃太郎伝説は全国各地にあるのに、桃太郎と言えば岡山なのはナゼか?
今回はそれを探っていきます。

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第149回 岡山

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まず、タモリさんたちはとある神社の参道にやってきました。

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桃太郎のお話をおさらい。
かいつまんで言うと、モモから生まれた桃太郎は成長して鬼退治を決意、道中犬・猿・雉をきびだんごで家来にして鬼ヶ島で鬼をやっつける、というお話。

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きびだんご1つでよく働く家来たちw

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まずきびだんごの謎を探ります。

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今はバリエーション豊か。

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きびだんごを試食。

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きびだんご:
穀物のキビが入っただんご
古くは一般庶民の食べ物だった

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キビと吉備(岡山の古称)をかけて、岡山を代表する名物になった。

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神社の石碑の字は第29大内閣総理大臣、犬養毅によるもの。
犬養家はこの神社の門前の大庄屋だった。

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桃太郎との縁を感じさせる「犬」。

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吉備津神社:
1500年以上の歴史を誇る神社
本殿・拝殿は国宝

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神社の古文書を見せてもらえることになり、喜ぶ磯田先生w

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賊(鬼)を退治し民に平安をもたらしたこの神社の神様、吉備津彦命が桃太郎のモデル説。

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鬼の身長は約4メートル。

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角のようなものがあり、炎を吐いた。

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帝が驚いて、第一の尊を吉備に派遣した。

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吉備津彦命は天皇の子。
つまり桃太郎は天皇の子?

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犬・猿・雉に相当する人物もいた?

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犬養(犬飼武)も古文書に登場。
犬養部:犬を飼育し狩猟や守衛をして仕える

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浅野祥雲さん(1891~1978)は出身地の岐阜で民芸品の土人形を制作していましたが、33歳で名古屋に移住。
自由に大きな人形を作りたいという思いから、コンクリートでの人形像制作を始めました。
以来コンクリート像一筋54年、亡くなる直前まで巨大コンクリ像を作り続けました。

今回の新3大を紹介するライターの大竹敏之さんによれば、祥雲さんの作品は東海地方を中心に758体存在するそうです。

そして、祥雲さんの作品の魅力は、”絶妙な顔の表情”にあるのだそうです。


 ① 愛知県犬山市 桃太郎神社

「子どもたちが喜ぶ作品を!」という依頼を受け、祥雲さんは桃太郎の名場面を人形で再現。

桃太郎の誕生から始まり、

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お婆さんと竹下登似のお爺さんもいます。

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成長した桃太郎は、

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犬、サル、雉を引き連れ、

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鬼が島で鬼退治。

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お宝を持ち帰ります。

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そして、この物語の最後に登場するのが、反省した優しい鬼…。 

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う~ん、ホントに改心したのでしょうか。
笑ってますが悪党面です。
私はこの鬼の顔を見て、この人を思い出しました。

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「ダウンタウンのガキ使」などを手掛けた元日テレのプロデューサー、菅賢治氏。
 
 ② 愛知県日進市 岩崎御嶽山

祥雲さんが好んでモチーフにしたのが毘沙門天。
財宝を守ると言われる毘沙門天が邪鬼を踏み潰している構図は、他のお寺の毘沙門天像にもよく見られますが、祥雲さんはこの構図の像を何体も制作したそうです。

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祥雲作 毘沙門天に踏まれた邪鬼

上の邪鬼は禍々しい表情で邪鬼らしさがよく表現されていますが、このシリーズの作品中には”謎の表情を持つ邪鬼”がいます。

それが、岩崎御嶽山にある毘沙門天像。

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 邪鬼をアップにすると、

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まるで他人事のように頬杖をついて、遠くを見つめる邪鬼。
邪鬼というよりも、オッサンです。
大物顔ですが、どこか胡散臭い。

祥雲さん亡き今では、この邪鬼の詳細は不明なのだそうです。
 もしかしたら、嫌いな知り合いをモデルにしたのかもしれません。

③ 愛知県南知多町 中之院

祥雲さんは14歳の頃、無縁仏の供養がしたくて仏像を作るために彫刻を学び始めたのだそうです。
彼が像を作る動機はもともとは「慰霊」。

その原点に立ち帰ったともいうべき作品が南知多町中之院の立像群です。

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 中之院軍人慰霊像(昭和12~18年)

昭和12年、地元名古屋で集められた100名ほどの部隊が中国に出兵したのですが、その多くは半月で戦死してしまったのだそうです。

悲しみに暮れる遺族たちが『帰らぬ家族の姿を形に残したい』という思いから、祥雲さんに像の製作を依頼。
生前の写真をもとに100体近い軍人たちのコンクリート像を完成させたのだそうです。

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戦後進駐軍から「軍人像を破壊せよ」という命令が出たそうですが、管理するお坊さんが必死の抵抗をしてこの像を守り抜いたという逸話も残っています。 

祥雲さんのコンクリート像には人間らしい優しさやユーモアに溢れています。
よくわからない現代美術よりは、人の心を動かすことのできる作品なのではないでしょうか。
 









 

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