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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:林田理沙


タモリさんたちは長崎県の島原半島へ移動。
ここも潜伏キリシタンとゆかりの深い場所です。

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天草から島原は船で行くと近い。

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天草側と島原側の潜伏キリシタンが一揆の相談をした場所。

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島原天草一揆の総大将天草四郎時貞は海の上を歩いて渡ったという伝説がある。

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1637年 島原天草一揆

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一揆軍の原城の本丸。

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案内人は奈良大学の千田嘉博先生。
お城といえばこの人。

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一揆軍37000人、幕府軍125000人。
それぞれ丘の上を陣取って相対する。

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本丸の石垣。

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道に沿って歩くと左に曲がらざるを得ない。

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こういうクランク状の道をなんていうでしょう?

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枡形で正解。
卒業試験も無事突破。

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何度も曲がらなければならない構造になっている。

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本丸はいくつもの枡形によって守られている。

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原城の側面。
30mほどの高さがある。

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鉄壁の原城に籠もった一揆軍と幕府軍の激しい戦いはなんと3ヶ月も続く。

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3ヶ月にも渡る籠城の中で、水はどうやって確保していたのか?

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海水を真水に変える技術は現代でも難しい。

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原の本丸内には池があった。

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池の向こうはすぐ海。

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現代女子の発想w

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なぜこんなところに池ができたのか?
その理由を探りに崖を見に行きます。

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原城海側の崖。

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地層の下の方は泥岩。

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地中に染み込んだ水は水を通しにくい泥岩層を伝って隙間から湧き出し池ができた。

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なぜ2つの地層があるのか?

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熊本県天草市・崎津からスタート。

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今回はファイナルリンダです。

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このあたりを含め広範囲が世界遺産に登録されてます。

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潜伏キリシタンって初めて聞いた。
隠れキリシタンのポリコレ?

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南蛮柿と書いて無花果と読む。
どっちにしろ知らないと読めないw

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天正遣欧少年使節(1582年)が初めて南蛮柿を日本に持ち込んだ。
潜伏キリシタンの町らしいエピソード。

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教会の前の音楽隊(16世紀の西洋楽器を復元し演奏する)の方々。

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風景画?

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林田アナの演奏もこれが見納め。

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豊臣秀吉が3回アンコールしたと言われている曲(千々の悲しみ)を演奏中。

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江戸時代になるとキリスト教の取締が厳しくなってくる。

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1640年頃には宣教師が日本に入ってこれなくなる。

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案内人は、熊本大学の安高啓明先生。
江戸時代のキリシタン政策を研究。

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旅のお題は「なぜキリシタンは250年も潜伏できた?」。

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第160回 島原・天草

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江戸時代の崎津の地図。

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庄屋はキリシタンを取り締まることが仕事だった。

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板踏絵は多くの人が踏むと板が割れてしまう。

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ということで、真鍮踏絵が使われるようになった。

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私も痛い目に遭うぐらいならとっとっと踏むw

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実はキリシタンたちも真鍮踏絵になってからあまり心苦しくなく踏んでいたらしい。

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キリシタンにとって、ロザリオ(十字架の数珠)が重要。

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真鍮踏絵を作製したのが仏教徒だったために、ロザリオの重要性に気づかなかった。

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代々潜伏キリシタン、というのもすごいな。

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潜伏キリシタンの家系であることを知ったのは、2年前。

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潜伏キリシタンが世界遺産というスポットライトを浴びることになり、初めて父親が地方紙にカミングアウト。

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潜伏キリシタンはこの貨幣(寛永通宝)をあることに使った。
重要なのは形と数。

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四万十川の景色を楽しむタモリさんたち。

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四万十川のシンボル、沈下橋。

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沈下橋を車で渡ります。

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沈下橋走行中。

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沈下橋には欄干がない!

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沈下橋を車で渡った感想w

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欄干のない沈下橋は流されにくい。

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四万十川流域は台風が通過することが多い。
10m近くも水位が上がることがある。

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四万十川が増水するのは四万十と言われる支流があるから?

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196kmという川の長さが増水の理由。
319と言われる支流の雨水が下流域に押し寄せる。

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沈下橋を自転車で渡る地元民。

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タモリさんたちは中流域(河口から80km地点)に移動。
「巨乳ってこんな感じなのかな?」w

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ラフティングにチャレンジ。

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楽しそう!

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あちこちに岩がある。

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川に磨かれている岩。

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油断すると岩に激突。

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浅瀬もスリリング。

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水しぶきを浴びる林田アナ。

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スタートしたときに背後にあった鉄塔が目の前にある。

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ぐるりと回ってきた。

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JR浜松駅の新幹線のホームからスタ-ト。

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浜松市は静岡県の西の端にあります。

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最初の案内人は浜松市役所の太田好治さん。
自己紹介が新幹線の轟音でかき消されるw

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全世界的に流行っている?駅ピアノ。

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さすが藝大の人。

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ドラムロール。
林田アナの伴奏。
チャン、チャラッチャン♫
旅のお題は「なぜ浜松は楽器の町になった?」。

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いろいろな楽器で世界シェア1位を誇る浜松。
ヤマハ、河合楽器、ローランドといったところか。

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第153回 浜松

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浜松市の中心部にある神社。

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徳川家康を祀った東照宮。

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家康は29歳から17年間浜松で暮らしていた。

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秀吉と家康の間に立つと出世するらしい。

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もうええやろw

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家康が来たからこそ、ここは発展した。

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1570年、家康が小さな宿場町だったこの場所に城を築き、浜松と名付けました。

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すごく怪しいおじさん発見。

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静岡大学の小山真人先生でした。
先生は浜松出身。

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この高低差は何?

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活断層でないとすれば、河岸段丘。

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ということはかつて川が流れていた?

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タモリさんたちは今、三方原のヘリにいた。

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家康は天竜川が作った崖の上に城を建てていた。

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桶狭間の戦い:
1560年 織田信長が今川義元に勝利した合戦

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東から侵略を試みようとする武田信玄。

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家康は武田軍の動きを監視する必要があった。
故に浜松の河岸段丘の高台に城を築いた。

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タモリさんたちは京都御所の北側にやってきました。

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この道は昔用水路だった。

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鴨川の水を京都御所まで運んだ御所用水。

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防火が主な目的。

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御所用水の跡をたどる。

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川ではなく、川の跡が大好き。

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相国寺:1382年 足利義満が創建
臨済宗相国寺派の本山

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庫裡:寺の台所
相国寺では事務所などへの玄関口となっている

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しょうもないウソをつくw

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相国寺の事務所の荒木さん。

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特别に非公開エリアへご案内。

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開山堂庭園。
いわゆる枯山水。

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庭園の龍淵水。
これが御所用水の一部だった。

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かつては水が流れていたが、昭和10年頃に水が枯れてしまう。

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御所用水は庭園の水にも使われていた。

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枯山水なのに水が流れていた。

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京都御所に戻り、御所用水の跡をたどる。

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京都御所敷地内の御所用水の痕跡。

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御所用水の跡をたどると、その先には水をたたえた雅な庭園。

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