Halohalo online

ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:家紋

タモリさんたちは西軍の本陣から西北に1キロほどの場所にやってきました。

a1

鞍馬口通(くらまぐちどおり)。
実はタモリさんお気に入りの場所。
うまい蕎麦屋と漬物屋がある。
魚屋のポテトサラダも美味。

a2

温泉もあります。

a3

町の向こうに見える船岡山。

a4

西陣織発展のカギを握る船岡山。
標高約112メートル。

a5

船岡山を登る。

a6

頂上から京都市内を一望できる。
(あいにくのお天気ですが…)

a7

船岡山は京都の人たちにとって特別な場所。

a8

これは…

a9

チャート:
プランクトン(放散虫)の死骸が堆積してできた岩

a10

今回注目するのは、岩の種類ではなく岩の表面。

a11

この岩はもしかして信仰の対象?

a12

よーく見ると…

a14

仏様がいる。
彫られたらしい。

a13

船岡山は京都の人々にとって、「あの世の入り口」だった。

a15

もともと船岡山一帯は墓場に選ばれるような原っぱだった。

a16

室町時代以前、「あの世の入り口」だったなにもない原っぱ(紫)。

a17

何もなかったからこそ、西陣が大きく発展できた。

a18

西陣が発展した理由を納得。

a19

再び西陣の中心地に戻ってきたタモリさんたち。
江戸時代に西陣がどれほど繁栄したのかを確かめます。

a20

案内人は再び観光ガイドの鳥井光広さん。

a21

江戸時代に最も栄えた通り、千両ヶ辻。
1日千両(約6000千万円)の売上があったらしい。

a22

江戸の面影を残す千両ヶ辻の家屋。

a23

職人さんが作業中。

a24

江戸中期から280年続く帯問屋の10代目。

a25

続きを読む

朝倉氏の館跡

a1

門に彫られた朝倉氏の家紋。

a2

ドローン撮影。

a3

朝倉氏の館の井戸で発見された欠片から復元されたベネチアングラス。

a4

一乗谷は水運で豊かになった。

a5

栄華を誇った一乗谷も1573年に滅ぼされ、町の中心は平野に移されます。

a6

タモリさんたちは一乗谷から西に10km、福井城に移動。
実はここには一乗谷の遺産が残されています。

a7

福井城の門。

a8

屋根が真っ白。

a9

石の瓦!?

a10

笏谷石(しゃくだにいし):
火山灰などが固まった凝灰岩の一種
鉱物の変成による緑がかった色が特徴

a11

柔らかく加工しやすい笏谷石は、福井城ではいたる所に使われています。

a12

笏谷石の加工技術は一乗谷で培われたもの。

a13

石の瓦は一乗谷の遺産。

a14

福井城から西に2km。
タモリさんたちは笏谷石の石切り場にやってきました。
現在は料亭になっています。

a16

この地下は(柵谷石を)採掘した立て坑跡に水が溜まっている。

a15

一乗谷の時代に本格化した笏谷石の採掘は、江戸時代になると福井に莫大な利益をもたらします。

a17

美しく加工がしやすい笏谷石は全国で盛んに売買されるようになりました。

a18

石切り場(料亭)の前の道で何かに気づいたタモリさん。

a19

この道は川っぽい。

a20

話についていけない林田アナw

a22

続きを読む

このページのトップヘ