Halohalo online

ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:家


新型コロナウイルスのため、テレビ局も緊急事態体勢。

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とうとう二人の姿もなくなり、音声のみ。

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音声はこんな感じで録っているw

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美容室にもいけないので、髪のお手入れができない二人。
よく考えてみれば、中年のオジサン二人w

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 半年ぶりに桐谷さんに密着した件

70歳になった桐谷さん。

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900社もあると管理が大変だろうな。

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相変わらず引っ越し直後みたいな部屋。

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左のダンボール箱に目を瞑ればだいぶマシになった。

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そういえば恋はどうなった?

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現実が見えてきた。

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もう過去のことになった桐谷さんの恋。

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桐谷さんは恋を諦め、家を買おうとしていた。

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やっぱり相変わらずだなあ。

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話題提供には事欠かない桐谷さん。

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相変わらず株主優待券の使用期限に追われる日々。

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お召し物にハッサクの値札が…。

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気にするポイントが常人とは違うw

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まず向かったのは高田馬場のメガネスーパー。

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眼鏡屋さんでリラクゼーション。

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チーンw

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桐谷さんに家を買うことを決意させた銀座ライオンの株主優待券。

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銀座ライオンの株主優待券には使用期限がない。

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故に20年以上使っていない株主優待券がある。

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爆走を続けてきた桐谷さんの人生。

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自分の人生に期限があることに気づく。

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自分の死を意識する桐谷さん。

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現金を抱えてお墓に入るわけにもいかない。

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現金を使うため家を買うことにした。

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人生を悟らせてくれた銀座ライオンでお食事。

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田園調布駅前からスタート。

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タモリさんはご近所。
近江アナは初田園調布。

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一世風靡した星セント・ルイスのギャグ。

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あったあったw

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田園調布の位置。

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レトロな駅舎。

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旅のお題は「田園調布はどのように超高級住宅街になったのか?」。

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案内人は大田区立郷土博物館の築地貴久さん。

田園調布の街の歴史は1918(大正7)年に始まる。
今年でちょうど生誕100年。

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大正初期の田園調布。

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大正初期の東京:
近代化の影響で東京中心部の人口が急増
1890年から1910年までの20年で2倍に

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駅前を中心として放射状に道がある。

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パリの凱旋門広場を模範にしている。

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とすると、駅舎は凱旋門?

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まずタモリさんたちが向かったのは駅(西口)から見て一番左の道。
ここでこの街のユニークな構造を探ります。

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横の道はカーブを描いている。

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放射状の道路と環状道路を組み合わせているのが田園調布の特徴。

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この町割りは扇形の土地を作るので、土地の分譲という観点では具合が良くない。

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田園調布の土地開発には渋沢栄一の息子、渋沢秀雄が関わっていた。

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宝塚の回にも登場した小林一三もアドバイザーとして関わっていた。

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小林一三はこの街の構想を見て激怒した。


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反対を押し切ってまで、なぜこの形にこだわったのか?

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このへんの事情を地元民の宝樹永憲さんに説明してもらいます。

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カーブした道では緑が中心にくる。

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真っすぐな道だと、樹木は左右に別れて見える。

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道がカーブしていると、常に樹木の緑が中心にくる。

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この構造だと、散歩していても気持ちが良い。

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