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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:奥の院









路傍の石のように見えるがこれも五輪塔。
よく見ると地・水・火・風・空を分ける線が入っている。

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一石五輪塔と言い、庶民の五輪塔です。
木下さんの推測では100~200万は埋まっているかもしれない。

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庶民の五輪塔に思いをはせる。

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パナソニック。

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クボタ。
企業墓:企業が会社の物故者の慰霊などの目的で建てた石塔

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フグの供養塔。

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シロアリの供養塔もある。

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この橋から先は聖域中の聖域。
テレビ撮影はできない。

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橋を渡った奥にある燈籠堂に空海の御廟があります。

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橋から先は3人だけで参拝。

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参拝を済ませて戻ってきました。
平日でも結構たくさんの人がお参りに来ているそうです。

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あじみ地蔵

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空海はまだ生きていると考えられているので、毎日1日2回ここで食事を作っている。

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このお地蔵さんは空海の食事の味見をする。

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10時半に出した御膳が帰ってきました。

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食事を提供する仕事は1200年間ずっと続けられています。

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精進料理ですが、パスタや焼きそばを出すこともある。

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壇上伽藍は生きていた空海のステージ。
奥の院は魂となった空海のステージ。
これが空海テーマパークの仕掛け。

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高野山霊宝舘
最後に空海がこの世に実在した証を見せてもらいます。

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案内をしてくれるのは先ほど金堂の両界曼荼羅を解説してくれた山口文章さん。
霊宝館の館長でもあります。

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先週の続き。

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今週も世界遺産に指定され、年間180万人の観光客が訪れる高野山をブラブラします。

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旅のお題は「高野山は空海テーマパーク!?」。

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東西4kmにわたる高野山には2つの重要な聖地があります。
一つはお堂や仏塔が建ち並ぶ壇上伽藍。
もう一つは空海の御廟がある奥の院。

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案内人は先週に引き続き高野山大学の木下先生です。

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先週とダブりますが、壇上伽藍の根本大塔からスタート。

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空海は31歳で遣唐使として中国に留学。
わずか1年で優秀な成績をおさめて帰国した。

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しかも、中国の密教のトップから次世代の後継者として指名されていた。

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空海は1年で帰れてラッキー。
次の帰国便は30年以上あとだった。

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空海が帰国していなければ、この高野山もなかった。

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空海がもたらした真言密教について少しお勉強します。

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先生は総本山金剛峰寺の山口文章さん。

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壇上伽藍にある祈りの中心地、金堂を案内してもらいます。

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高野山総本堂の金堂の内陣
内陣:仏様を祀っている場所

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左右にかかっている軸を両界曼荼羅という。

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曼荼羅とは仏教の世界を図によって表わしたもの。

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右手にあるのが「胎蔵界曼荼羅」。

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左手にあるのが「金剛界曼荼羅」。

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真言密教は言葉で理解するのがとても難しい。
両界曼荼羅なしには真言密教の教えは伝えられない。

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つまり、この両界曼荼羅は空海の思いを図解したもの。

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胎蔵曼荼羅は物質的な広がりを表わしている。

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真ん中に中心のエネルギーがあってそこから四方八方に広がってる。

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太陽を中心とする太陽系の星々。
核を中心とする細胞。
中心があって、そこから広がりを持つ物質の世界。

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一方、金剛曼荼羅は9つに分かれている世界のつながりやストーリー。

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右下から始まって、反時計回りに回り真ん中に到達。
時間の概念が入っている。

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清水寺仁王門前

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清水寺は京都駅の北東2kmほどに位置し、世界遺産にも登録されています。

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旅のお題は「人はなぜ清水をめざす?」。

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案内人は京都町歩き団体主宰の以倉敬之さん。
清水寺は年間約600万人が訪れているそうです。

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清水寺は平安時代の文学作品の源氏物語や更級日記にも登場しています。
清少納言の枕草子にも清水寺の賑わいが”さわがしきもの”として紹介されています 。

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仁王門から有名な清水の舞台がある本堂を目指します。

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本堂は撮影禁止なので、その隣の奥の院へ。

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本堂は改装中。
平成の大改修:50年ぶりに本堂の屋根が葺き替えられる
2020年の完成を目指す

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清水の舞台は最初からあったわけではない!?
*清水寺の創建年は778年

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清水の舞台が最初に文献に登場するのは、1100年頃。

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藤原成通(なりみち)という貴族が舞台の上であることをした。
 
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蹴鞠の名手成通は、舞台の高欄(柵)の上をリフティングしながら往復した!
 
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もともとは崖の上におさまっていた本堂。

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その後本堂が建て替えられ舞台が作られました。

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多くの参拝者を迎え入れるため舞台が作られた?
本堂舞台:奉納などの行事に使われる「舞台」
参拝者を迎え入れる場所としても機能

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清水寺の前立ちは、千手観音像。
前立ち:厨子などの中の本尊の前に安置される仏像 

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観音→音を観る→衆生の声を聴く

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千手観音はこの世のすべての人のあらゆる願いに応える 。
近江「そういえば、頭痛に効くお守りもありました」w

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ところが、江戸時代になると舞台そのものが参拝者の目的になってきました。
あのことわざ、「清水の舞台から飛び降りる」。

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ほんとうに清水の舞台から飛び降りた人、記録で確認できるだけでも237件。
 
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高さ12mの舞台から飛び降りて、生還率は85%。
祈願のために飛び降りたのだそうです。

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滑稽都名所清水寺:京都の名所清水寺を紹介する浮世絵
歌舞伎のシーンを題材に舞台を描く

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