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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:古墳


JR岡山駅前からスタート。

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岡山といえば、桃太郎。
よくわからないけど、岡山が桃太郎推しなのは知っている。

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旅のお題は「岡山といえば”桃太郎”なのはナゼ?」

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案内人は歴史学者の磯田道史先生。
BSでよく見る先生だ。

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岡山のアパート。

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鉄道も桃太郎。

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吉備線が桃太郎線に名称変更。

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すっかり桃太郎ランドになってしまった岡山。

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桃太郎伝説は全国各地にあるのに、桃太郎と言えば岡山なのはナゼか?
今回はそれを探っていきます。

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第149回 岡山

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まず、タモリさんたちはとある神社の参道にやってきました。

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桃太郎のお話をおさらい。
かいつまんで言うと、モモから生まれた桃太郎は成長して鬼退治を決意、道中犬・猿・雉をきびだんごで家来にして鬼ヶ島で鬼をやっつける、というお話。

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きびだんご1つでよく働く家来たちw

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まずきびだんごの謎を探ります。

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今はバリエーション豊か。

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きびだんごを試食。

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きびだんご:
穀物のキビが入っただんご
古くは一般庶民の食べ物だった

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キビと吉備(岡山の古称)をかけて、岡山を代表する名物になった。

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神社の石碑の字は第29大内閣総理大臣、犬養毅によるもの。
犬養家はこの神社の門前の大庄屋だった。

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桃太郎との縁を感じさせる「犬」。

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吉備津神社:
1500年以上の歴史を誇る神社
本殿・拝殿は国宝

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神社の古文書を見せてもらえることになり、喜ぶ磯田先生w

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賊(鬼)を退治し民に平安をもたらしたこの神社の神様、吉備津彦命が桃太郎のモデル説。

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鬼の身長は約4メートル。

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角のようなものがあり、炎を吐いた。

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帝が驚いて、第一の尊を吉備に派遣した。

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吉備津彦命は天皇の子。
つまり桃太郎は天皇の子?

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犬・猿・雉に相当する人物もいた?

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犬養(犬飼武)も古文書に登場。
犬養部:犬を飼育し狩猟や守衛をして仕える

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5月半ばの阿蘇。

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阿蘇のカルデラが一望できる眺めの良い場所。

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阿蘇のカルデラは広大。

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阿蘇は大きな噴火が4回あった。

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9万年前に起きた4回目の噴火は大量の火砕流を出した巨大噴火。
現在の地形のほとんどを形づくったと言われている。

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東方 ”火砕流” 東前頭2枚目 熊本県阿蘇郡出身。
確かに強そうだけど、NHKと相撲協会にクレームが殺到するわw

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旅のお題は「阿蘇は世界一の”お役立ち”火山!?」。

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まずタモリさんがやってきたのはカルデラの中心部、中央火口丘の草千里ヶ浜。
すぐ近くには噴火を繰り返す中岳があります。

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草千里は直径1キロのお椀型の円形。
どうやってできた?

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実は草千里は火口。
3万年前の噴火で山の上部が吹き飛ばされ、現在のような平地になった。

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案内人は熊本大学の宮縁育夫先生。

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プリニー式噴火:
噴煙が成層圏に達することもある大規模な噴火

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ポンペイを埋め尽くしたベスビオ火山の噴火もプリニー式噴火。

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北側に見える米塚。

米塚:阿蘇のシンボル
神様が米を盛ってつくったとされる

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米塚はストロンボリ式噴火でできた。

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ストロンボリ式噴火の特徴はマグマがしぶき状に飛び出すこと。
噴き出たマグマが積み重なると、米塚のような形になります。

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米塚ができたのは約3000年前。
縄文人はストロンボリ式噴火を見ていたかもしれない。

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中岳の火口はライブカメラで見ることができる。
RKK熊本放送阿蘇火口ライブカメラ 

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中岳のストロンボリ式噴火。

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タモリさんたちはカルデラの北東部にやってきました。

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ポツポツと点在する小山。

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小山は古墳。
そして、阿蘇山は意外な形で古墳に役立っている。

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古墳の案内人は阿蘇市教育委員会の宮本利邦さん。

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もともとは全長100mを超える前方後円墳だった。

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前方部を発掘した時に発見された石室。

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実は真っ赤な石室だった。
ベンガラ:
赤色顔料のひとつ
埋葬や祭祀など特別な場で使われていた

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カルデラの北西部にやってきたタモリさん。
川が赤茶色。

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ベンガラの原料になった阿蘇黄土。
鉄分を多く含んでいる。

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今タモリさんたちがいる場所(大小路)。

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百舌鳥古墳群と古市古墳群。

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古墳群を結ぶ二つの道(長尾街道、竹内街道)。
大小路は二つの道の西の端。

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道(大小路)は国境となり、堺は国のヘリとなる。

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支配や管理が行き届きにくい国境において、堺の自由な気風が育まれていきました。

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タモリさんたちは、戦国時代の堺の繁栄の痕跡を訪ねます。

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千利休屋敷跡。

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千利休は堺を代表する文化人であり、商人。

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屋敷跡の向かいの博物館の中に、千利休の茶室が復元されているそうです。

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茶室外観。

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にじり口。

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どんなに偉い人でも頭を下げて茶室に入り茶室の中ではみな平等になる、というのが千利休の考え方。

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ぎゅうぎゅうw

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お点前?

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ずらりと並んだ戦国時代の茶碗。

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茶碗が焼けている?

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大坂夏の陣で、堺の町は全焼していた。

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全焼した町の遺跡から掘り出された茶器の数々。
堺の繁栄の痕跡です。

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鉄砲之玉千到来。

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九月十六日。

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信長。

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信長が千利休に送った礼状。

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当時堺は鉄砲の一大産地。
織田信長は堺の商人から鉄砲を入手することで天下統一をはかった。

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堺は日本の歴史を動かした。

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仁徳天皇陵古墳前からスタート。

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大阪府堺市にある仁徳天皇陵古墳。
東京ドーム10個分の広さで、日本一大きいお墓。
約1600年前に築造されました。

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拝所。

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案内人は堺市博物館の白神典之さん。

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古墳とドラえもんのコラボ柄ネクタイw

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長さでは仁徳天皇陵古墳が世界一。
高さではピラミッドが世界一。

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本日のお題は「巨大古墳は日本の歴史を動かした!?」

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古墳が大好きな案内人。

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第134回 古墳の町・堺

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古墳ができた当時の様子をCGで再現。
木は生えていなかった。

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現在の古墳群。

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1600年前の古墳群。

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古墳の周囲には赤い埴輪が並べられ、斜面は石で覆われていた。

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横に張り出した部分は何?

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「造り出し」と言い、形象埴輪を並べている。

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形象埴輪:
家・人物・動物・器物などをかたどった埴輪

「造り出し」では祭りごとがされていたのではないかと推察されている。

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古墳の夢を見るほどタモリさんも古墳好き。

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ホタテガイの形をしている前方後円墳もある。

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雨が止んだので、ドローン撮影開始。

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ドローンで撮影した仁徳天皇陵古墳。

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お堀の最大幅100m。

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ホタテ型古墳からのホタテのロックンロールw

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伝説的番組となった「オレたちひょうきん族(1981~1989年)」から生まれた「ホタテのロックンロール」。
ホタテマンに扮した安岡力也が歌った。

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仁徳天皇陵古墳の端は緩やかな下り坂になっていた。

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古墳は小高い場所に造られていた。

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直線状の高低差と言えば、断層。

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緩やかな断層はある?

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緩やかな断層=撓曲(とうきょく)

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地盤が柔らかいと”ふにょっ”と緩やかに曲がる。

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なぜこの場所に古墳群が造られたのか?

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5世紀頃、まだ日本は統一されていなかった。
当時の日本の一大勢力は奈良盆地にあったヤマト王権。

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堺はヤマト王権の海の玄関口だった。

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巨大古墳の威容でヤマト王権の力を誇示していた。

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次にタモリさんたちが向かったのは、住宅街の一番外側のカーブの道
この場所で田園調布が超高級住宅街に変わった理由がわかります。

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坂道。

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坂道大好きタモリさん。

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素朴な疑問。

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田園調布の住宅街は切り立った台地の上にある。

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水分が低地に抜けていくので、台地の地盤が固く締まり安定している。

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警察関係者がやたら通るなか、坂道を上るミニバイク。

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バイクでの出前は田園調布が発祥らしい。

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このおそば屋さんを開業した人が、田園調布の価値を高めるような職業に就いていた。

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そば屋の屋号が「兵隊家」。

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軍人だったお祖父さんが退役後にそば屋を始めた。

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サラリーマンが最初に住んで次に軍関係の人間が住み始めた。

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田園調布は軍人に人気のある住宅地だった。

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きっかけは田園調布分譲開始直後の関東大震災。
緊急事態にもすぐ対応できるよう、軍人たちは地盤の強い高台に住むようになった。

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偉い軍人さんの家も5,6軒あった。

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田園調布は軍関係者の職場にも近かった。

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エリート軍人が住むようになり、街の価値が高まる。

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その後さまざまな分野のセレブが田園調布に住むようになる。

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昭和62年には1坪1000万円を突破。
住宅地の地価日本一に。

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続いてタモリさんたちが向かったのは多摩川のほとり
実はここで、田園調布がはるか昔から人気の場所だったことがわかります。

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ここは感慨深い場所?

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長い間続いてきた国分寺ガイセンがここで終わる。

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地質マニアだけがわかる感慨w

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良い質問です。
視聴者もわからないw

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国分寺崖線:東京の立川から田園調布まで続く崖
多摩川が10万年以上かけて削ったもの

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神社の階段を上る。

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神社の高台から見る多摩川。

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晴れていれば富士山も見える。

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田園調布ご自慢の絶景スポット。

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第二の案内人、大田区郷土博物館の齋藤あやさん。

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