タモリさんたちは再び吉祥寺駅前に戻ってきました。

a1

ある出来事がきっかけとなり、吉祥寺に人が住み始める。
そのきっかけとは?

a2

タモリさんは何でもご存知。

a3

明暦の大火:明暦3(1657)年1月に起きた大火事
城・大名屋敷・市街地など江戸の大半を焼いた

a4

この大火で水道橋あたりにあった「吉祥寺」というお寺も焼け、この門前町の60軒ほどが井の頭池の周辺に引っ越してきました。

a5

吉祥寺村誕生。
吉祥寺に吉祥寺がないのは、名前だけが残ったから。

a6

ここからは吉祥寺の街がどのように開発されたのかを見ていきます。

a7

タモリさんが最初から気になっていた駅に対して斜めの道

a8

有名なハモニカ横丁。
バラエティー番組のロケでもよく登場します。

a9

やっぱりここも斜め。

a10

吉祥寺の町割りができたのは江戸時代。
五日市街道を基準にして町割りができました。

a12

近代になり、東西にまっすぐ鉄道が通ったので線路に対して道が斜めになっているのです。

a13

五日市街道を歩くタモリさんたち。

a14

五日市街道沿いの脇道は街道に対して直角にまっすぐ伸びています。

a15

五日市街道の両側にまっすぐ伸びる長い道は、実は江戸時代の住まいの痕跡でもあります。

a16

江戸時代の敷地。
間口が狭くて奥に長い。

a17

幕府は移住した人々に短冊状の土地を与えて開墾させた。

a18

玄関がメインロードに面するよう街道沿いに敷地が並ぶ。

a19

短冊状の敷地の長さを歩いて確かめてみる。

a20

歩き始めて10分。
まだ道は続く。

a21

江戸時代、500坪は激狭物件w

a22

20分歩いてようやく敷地の端に着く。

a23

敷地の間口は20間(約36m)、長さは634間(約1140m)。

a24

玄関から1キロ以上ある敷地!

a25

敷地の端には分水が流れている。

a26

玉川上水から分けられた千川上水という分水です。

a27

千川上水沿いにある野菜の直売所

a28

300年代々農家。

a29

直売所の裏手は畑。

a30

江戸時代、吉祥寺は江戸市中への野菜の供給地の限界だった。

a31

明治以降、吉祥寺は急速に発展します。
そのきっかけは鉄道開通でした。

a32

甲武鉄道(現在のJR中央線):
新宿ー八王子を結んだ
吉祥寺駅の開業は明治32年

a33

しかし、鉄道開通には大きな問題がありました。
本日3度目の駅前。

a34

象の鼻を持っている怪しい人は、吉祥寺サンロード商店街振興組合の安藤孝さん。

a35

吉祥寺駅はもともとここにできる予定ではなかった。

a36

五日市街道と交差する場所にできる予定だった。

a37

ところが周辺住民の反対で駅ができなかった。

a38

ではなぜ今駅がある場所はOKだったのか?

a39

その理由は商店街を歩くとわかります。

a40

商店街の中に忽然と姿を現したお寺

a41

門をくぐると広くて立派な月窓寺。

a42

地図を見ると、五日市街道沿いに4つのお寺が隣り合っている。
この寺々も明暦の大火の後にここに移ってきた。

a43

お寺にはこのように短冊状の広い土地が与えられていた。

a44

駅の場所が問題になった時、お寺が土地の提供を申し出て今の場所に吉祥寺駅ができたのです。

a45

駅が開業して17年後に井の頭恩賜公園が開園。
街は観光客で賑わうようになります。

a46

関東大震災後、被害の少なかった吉祥寺に注目が集まります。

a47

短冊状の土地は分譲しやすかったので、次々と家が建ち並びました。

a48

こうして門前町でもある駅前の商店街は今に至る繁栄を遂げました。

a49

商店街の特売のチラシ。

a50

お寺の縁日に合わせて、商店街もバーゲンをやった。

a51

井の頭公園を歩いていたら、ここに住みたくなる気持ちもわかってきた。

a53

公園のそばだから吉祥寺駅ができたわけでない。

a55

エンディング♪

a54

新春(1月2日)は鶴瓶師匠とのコラボ番組です。

a57