Halohalo online

ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:チャート


養殖に欠かせないのが養殖用の池。
タモリさんたちは100年以上前養殖が始まった頃の養殖池があった場所にやってきました。

a1

石垣の石はチャート。

a2

チャートは硬くて緻密、風化にも強い。

a3

養殖池の石垣にうってつけだった。

a4

川池:湖を埋めて作った池
大正時代には東京ドーム75個分の川池が浜名湖につくられました。 

a5

湖に池を作るのは限界があるので、次に陸上に池を。
池を作るのに絶好な場所とは?
タモリさんたちは浜名湖から東に8kmの場所にやってきました。

a6

浜堤:
波の作用によってつくられた緩やかな砂の高まり

a7

浜堤と浜堤の間にある低地を池に利用した?

a8

タモリさんたちは浜堤の低地を利用した池を見に来ました。

a9

猫パトロール。

a10

猫ちゃんにフラれるw

a11

1500坪の池に50000匹のウナギ。

a12

ウナギを捕るときは池の水を抜くのか…。

a13

陸につくられた池は堀池という。
堀池は昭和40年代までつくられ、浜松のウナギ生産量を全国トップクラスに押し上げました。

a14

地元の漁協でウナギの選別を見学。

a15

漁協の真横に線路。

a17

東海道本線。

a18

東海道本線は浜名湖を貫いて走っていた。

a19

車窓から見える漁協はうってつけの広告塔でした。

a20

しかも鉄道を使い、活鰻を全国に出荷できました。

a21

浜名湖のウナギ物語の始まりの場所。

a23

始まりの場所へレッツゴー。

a24

続きを読む

タモリさんたちは西軍の本陣から西北に1キロほどの場所にやってきました。

a1

鞍馬口通(くらまぐちどおり)。
実はタモリさんお気に入りの場所。
うまい蕎麦屋と漬物屋がある。
魚屋のポテトサラダも美味。

a2

温泉もあります。

a3

町の向こうに見える船岡山。

a4

西陣織発展のカギを握る船岡山。
標高約112メートル。

a5

船岡山を登る。

a6

頂上から京都市内を一望できる。
(あいにくのお天気ですが…)

a7

船岡山は京都の人たちにとって特別な場所。

a8

これは…

a9

チャート:
プランクトン(放散虫)の死骸が堆積してできた岩

a10

今回注目するのは、岩の種類ではなく岩の表面。

a11

この岩はもしかして信仰の対象?

a12

よーく見ると…

a14

仏様がいる。
彫られたらしい。

a13

船岡山は京都の人々にとって、「あの世の入り口」だった。

a15

もともと船岡山一帯は墓場に選ばれるような原っぱだった。

a16

室町時代以前、「あの世の入り口」だったなにもない原っぱ(紫)。

a17

何もなかったからこそ、西陣が大きく発展できた。

a18

西陣が発展した理由を納得。

a19

再び西陣の中心地に戻ってきたタモリさんたち。
江戸時代に西陣がどれほど繁栄したのかを確かめます。

a20

案内人は再び観光ガイドの鳥井光広さん。

a21

江戸時代に最も栄えた通り、千両ヶ辻。
1日千両(約6000千万円)の売上があったらしい。

a22

江戸の面影を残す千両ヶ辻の家屋。

a23

職人さんが作業中。

a24

江戸中期から280年続く帯問屋の10代目。

a25

続きを読む









長良川の鵜飼観覧船からスタート。

a1

寒そう。

a2

撮影は10月ですが、この日は風が強かった。

a3

長良川の鵜飼:
毎年5月から10月にかけておこなわれ、国内外から10万人以上訪れる

a5

案内人がタモテバコを持ってくる新パターン。

a4

旅のお題は「岐阜は信長が夢見た”平和の都”!?」

a6

案内人のクリス・グレンさんは在日26年。
戦国時代の岐阜を研究して世界に伝えています。

a7

タモリさんたちの現在位置。
名古屋から北に30km、長良川が流れる岐阜市。

a8

織田信長が天下統一への第1歩として拠点を置いたのが岐阜。
実は岐阜という地名も信長が決めました。

a9

確かに信長は”冷酷”というイメージはある。

a10

天下布武は平和のため?

a11

鵜飼はおもてなし?

a12

鵜飼を接待に使った信長。

a13

かがり火で鮎が驚く。
鮎がパニくったところを鵜が捕まえる。

a14

鵜が獲った鮎を鵜匠が吐き出させる。

a16

おいしそう。

a17

タモリさんによると味が濃いそうです。

a19

信長が平和を愛した証拠は岐阜に残されている。

a20

まずタモリさんたちが向かったのは信長が拠点とした岐阜城。

a21

岐阜城は金華山(標高329m)の頂にあります。

a22

ロープウェイ乗り場

a23

猫も杓子もハロウィーンw

a24

その昔ムッシュかまやつは日本でハロウィーンを流行らせようとして日本ハロウィーン協会を作った。

a25

NHK(日本ハロウィーン協会)w

a26

急こう配をロープウェイで登る。

a27

岐阜城を案内をするのは岐阜城山上石垣整備推進協議会の柴田正義さん。

a28

続きを読む









荒川にかかる秩父公園橋からスタート。

c1

地質や地学に興味がある人なら、秩父は必ず来る場所らしい。

c2

秩父といえば芝桜が有名。
一応知識はあるが、秩父初訪問の二人。

c3

埼玉県の西、関東山地にある秩父。
都心から特急電車で1時間半。

c4

年間900万人が訪れる関東有数の観光地です。

c5

秩父公園橋と撮影隊。

c8

秩父盆地の景色。

c7

四方を山で囲まれた盆地です。

c12

旅のお題「秩父はず~っと日本を盛り上げた!?」

c9

そう言われてもピンとこないw

c10

案内人は埼玉県立自然の博物館の井上素子さん。
秩父の地形や地質に詳しいそうです。

c11

秩父といえば、名峰武甲山。
あいにくの天気で見えない。

c13

晴れているときの武甲山。

c14

削られている?

c15

大正時代からセメントの原料になる石灰岩の採掘がはじまる。

c16

昭和30年代には全国1位の採掘量を記録。
今までに5億トンの石灰岩が掘り出されています。

c17

武甲山の石灰岩から作られたセメントが高度経済成長期のインフラ整備に使用されました。

c18

秩父の武甲山は都市の発展を盛り上げていった。
確かに関東の人間の脳裏には必ず刻まれている”秩父セメント”の名。

c19

石灰岩はサンゴからできる。

c20

ということで、秩父の地質や地形を学びながら、秩父がどのように日本を盛り上げていったのかを見ていきます。

c21

まずタモリさんたちがやってきたのは武甲山のふもと
なぜサンゴでできた石灰岩が山奥にあるのかを解き明かします。

c22

高さ65mの自然の崖。

c23

石灰岩は近江アナの予想と異なり硬い。

c24

一方で火山帯を作っている玄武岩もある。

c25

続きを読む

嵐山・渡月橋前からスタート。
 
arasi1
 
初登場の近江アナ。
高知生まれ東京育ち、1988年生。
職歴:NHK熊本→NHK福岡→東京アナウンス室


arasi3
 
ぼやくタモリさんw

arasi2

今回のお題は、「嵐山はナゼ美しい!?」。

arasi4

 案内人は、京都大学で造園学を研究している深町先生。

arasi6

 嵐山といえば、今タモリさんたちがいる渡月橋の景色が有名ですが、実は平安時代の人々が美しいと思ったのは別の場所だったそうです。

arasi5
 
 一行は渡月橋から西へ700mほどの小高い丘に移動。
ここから眺められる渓谷美が、平安時代の人々にとっての嵐山だったのです。

arasi8

さらに室町時代になると、人々はより積極的に自然に手を加えた新しい美を生み出しました。
一行は、一歩進んだ嵐山の新しい美を見に、街中にある天龍寺に移動します。

ここで、ブラタモリ3回目の出演となる京都高低差崖会の梅林さんと合流。

arasi19

天龍寺の庭、曹源池庭園。
ほぼ作られた当時のままの貴重な庭園です。

arasi9

池を中心に石や植物が配置されています。

arasi10

このアカマツは、嵐山にもたくさんある木。
嵐山の自然を庭園に取り入れて、連続性をもたせています。

arasi11

この庭園の中景になる斜面が、実は地形上のポイントになります。
 
 arasi13

前景、中景、後景をエグザイルで説明するw

arasi14

さて、この庭園の斜面ですが…。

arasi21
 
この斜面は”断層崖”でした。

arasi20
 
庭園を設計した夢想疎石(1275~1351)は自然美(断層崖)を巧みに取り入れてこの庭を造ったようです。 

arasi15
 
夢想疎石が定めた嵐山の美景、天龍寺十境。
この十境の共通点は、いずれも平地と斜面が出会う”へり”にあるという事です。

arasi17

一行は嵐山の美のポイントとなる斜面をさらに詳しく探るために嵐山国有林に移動します。

嵐山は40度の急斜面。

arasi24
 
急斜面なのでそこに生える木の一本一本がしっかりと見え、嵐山の遠景を美しくしていたのです。

 arasi25

嵐山周辺の人々はしっかりと根を張って土砂崩れを防ぐ桜やモミジを嵐山の急斜面に植え、嵐山の景観を守ってきました。

arasi18

タモリさんも未来の嵐山のために山桜を植樹しました。

arasi22
 
続きを読む

このページのトップヘ