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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:タンドール窯

暑いと言っても暦の上では秋。
秋といえば、やっぱりさんま。
大根おろしにカボスをサッとかけて、それだけで十分。
日本の味です、というお話。

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ゲストは光浦靖子さん、六角精児さん、

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グローバーさん。

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全国で急増中のインド・ネパール料理店。

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今秘かにブームになりつつあるのが、タンドリーサンマ。

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日本の秋の味覚、サンマをタンドール窯で焼くという斬新かつボーダーレスな料理。

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さらに今回はネクスト・タンドリーサンマを目指し、タンドリー化したらおいしい(かもしれない)日本食材のアイデアが続々エントリーします。

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舞台はタンドリーサンマをメニューに出す、ネパール・インド料理のサンサール新宿店。

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タイトル。

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実は全員タンドリー秋刀魚は食べたことない。

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カレー好きとして呼ばれているが、街のスタンドカレーを好んで食べるぐらいで実はそんなにカレーに詳しいわけではない。
カレー関係の仕事が来るが、ほんとうは困っているw

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私も料理好きということで呼ばれているが、ほんとは料理好きではない。
メンドくさいので適当にインタビューに答えていたら料理好きキャラになっていたw

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父親はインド人だが、生まれも育ちも日本。
インドはたいして詳しくないw

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普通の人々がお送りします。

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タンドリーサンマを作ったきっかけ:
日本では秋になると「サンマ」ばかりTVで放送
それで知り日本人常連客のために作ったのが最初

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ネパールには海がなく、冷凍技術も発達していないので海の魚はほとんど流通しない。

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魚屋で売っているのはほぼ川魚。

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タンドール窯はインド北部発祥。

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大部分のヒンドゥー教徒は海の魚は食べない。
よって、タンドリーサンマは完全に日本生まれ。

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焼き上げる前のタンドリーサンマ。
タンドリーソース:
ヨーグルト・塩・コショウ・生姜・ニンニク・クミン・コリアンダー・ターメリック・食紅

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30分ほどソースにつけたサンマをシークと呼ばれる金串に刺す。

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演者移動。

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タンドール窯。

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火力は炭。

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タンドール窯断面図。

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窯のへりに貼り付けるようにして焼くナン。

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350度以上の高温の窯にサンマイン。

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効果① 脂や水分が落ち、燻されて香り良く仕上がる

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効果② 輻射熱(遠赤外線)によりムラなく短時間で焼ける

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タンドリー秋刀魚。

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いただいてみます。

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うまい。
タンドリー感はそんなにない。

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普通の秋刀魚w

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秋刀魚の持ち味は生かして調理してある。

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ロケ地目黒。
目黒不動尊にはサツマイモを広めた青木昆陽の墓がある、というお話。 

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ゲストはスピードワゴンの二人。

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タンドール窯の父とゆかりのある方々。
左から、アショカのバルマさん、シターラのフセインさん、アジャンタのジェイさん、シタールのシンさん。

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タンドール窯とはナンなどを焼くつぼ型のオーブン。

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日本のインド料理店にあるタンドール窯のほとんどは高橋重雄さん(1933~2009)というタンドール窯職人によって作られていました。 

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今回は有名インド料理店の方々に集まってもらい、日本タンドール窯の父、高橋重雄さんの偉大な足跡を紹介してもらいます。

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写真左の白いツボがタンドール窯。
タンドール窯は、右のステンレス製のガスオーブンに入っているそうです。

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高橋重雄さんの甥にあたる神田川石材商工、現社長竹田伴康さん。
前社長の高橋重雄さんとタンドール窯について、解説をお願いします。

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神田川石材のタンドールは高温に強いムライト系セラミックを使用しています。
素焼きのインドのタンドール窯に比べて、2~3倍の耐久性があるそうです。

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実際にナンを焼いてもらいます。

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窯の内側に張りついたナン。
タンドール内の温度は280~300℃。

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あっという間にアツアツのナンができました。 

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皆で試食。
タモリさんお代わり。

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そもそも、なぜ高橋さんはタンドール窯を作ることになったのか?

高橋重雄 タンドール伝説 第1章

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1960年代後半。
神田川石材2代目社長、高橋重雄は本業のパン焼き窯の発注が激減し、新たな窯の開発を迫られていた。

ある日たまたま立ち寄った本屋でタンドール窯の記述を発見。

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”人がやらないうちにタンドール窯を作ろう”。

そう考えた重雄は北インド料理店アショカで初めてタンドール窯を目にする。 

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重雄はアショカのチーフシェフのジョンさんにタンドール窯のイロハを教えてもらう。

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そして1970年頃、国産タンドール第1号が完成。

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しかし、タンドール窯の需要はなかった。 
なぜならこの当時、東京にインド料理店は3、4軒しかなかった。 

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1960年代、パン窯の需要は大手パンメーカーの台頭で激減したのだそうです。
町のパン屋さんがパンを焼かなくなった。
 
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若き日のバルマさん(写真中央)はビートルズのポールに憧れて髪型(マッシュルーム・カット)を真似していたそうですw

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 「インド人はナンをあまり食べない」という衝撃の証言。

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