鎌倉 七里ヶ浜。
今回の旅のお題は、「鎌倉が観光で発展し続ける理由は?」。

最初の案内人は、長谷寺で働く学芸員の三浦浩樹さん。
江戸時代の鎌倉を研究されてるそうです。
江の島
三浦さんによると、鎌倉が観光で発展したきっかけになったのは、”江の島”なのだそうです。

歌川広重作(1847~52)
江戸時代、江の島参拝の帰りに鎌倉に立ち寄るのが人気の観光ルートだったそう。

歌川広重作(1844~47) 七里が濱真景(砂地の黒い部分は砂鉄)
一行は七里ヶ浜から鎌倉の玄関口に向かいます。
江戸時代、お茶屋さんだったという一軒の民家。
ここには当時を物語る貴重な資料があります。
江戸時代、茶屋で売っていた江の島から七里ヶ浜を描いた絵図、今でいう観光マップだそうです。
茶屋のお年寄りの女性が道案内をしていたので、「ばばあ茶屋」と呼ばれていたそうです。
極楽寺切通し
一行は江戸時代の観光ルートに従って歩いてみることにします。
まず向かったのは、鎌倉市街地への入り口、極楽寺切通し。

極楽寺切通し
切通しとは山を切り崩して通りやすくした道のことをいいます。
山が多い鎌倉には、7つの有名な切通しがあります。
その中でも極楽寺切通しは江ノ島と鎌倉を往来する定番のルートです。

切通しの階段を登りきると、由比ヶ浜が望めます。
坂を下れば長谷の大仏へ。

切通しを抜けたところに江戸時代創業の和菓子屋「力餅家」。
写真左手の石碑には「長谷観音への近道」と彫られています。

名物の力餅をほおばり一休み。

長谷寺(鎌倉の大仏)
近道を抜けて長谷寺へ。

国宝に指定されている鎌倉の大仏。

写真左に柱の跡、大仏のすぐ後ろに江戸時代に修復されかけた蓮弁が見えます。
蓮弁は4枚作られたところで、とん挫した模様。
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今回の旅のお題は、「鎌倉が観光で発展し続ける理由は?」。

最初の案内人は、長谷寺で働く学芸員の三浦浩樹さん。
江戸時代の鎌倉を研究されてるそうです。

三浦さんによると、鎌倉が観光で発展したきっかけになったのは、”江の島”なのだそうです。

歌川広重作(1847~52)
江戸時代、江の島参拝の帰りに鎌倉に立ち寄るのが人気の観光ルートだったそう。

歌川広重作(1844~47) 七里が濱真景(砂地の黒い部分は砂鉄)
一行は七里ヶ浜から鎌倉の玄関口に向かいます。
江戸時代、お茶屋さんだったという一軒の民家。
ここには当時を物語る貴重な資料があります。
江戸時代、茶屋で売っていた江の島から七里ヶ浜を描いた絵図、今でいう観光マップだそうです。
茶屋のお年寄りの女性が道案内をしていたので、「ばばあ茶屋」と呼ばれていたそうです。

一行は江戸時代の観光ルートに従って歩いてみることにします。
まず向かったのは、鎌倉市街地への入り口、極楽寺切通し。

極楽寺切通し
切通しとは山を切り崩して通りやすくした道のことをいいます。
山が多い鎌倉には、7つの有名な切通しがあります。
その中でも極楽寺切通しは江ノ島と鎌倉を往来する定番のルートです。

切通しの階段を登りきると、由比ヶ浜が望めます。
坂を下れば長谷の大仏へ。

切通しを抜けたところに江戸時代創業の和菓子屋「力餅家」。
写真左手の石碑には「長谷観音への近道」と彫られています。

名物の力餅をほおばり一休み。


近道を抜けて長谷寺へ。

国宝に指定されている鎌倉の大仏。

写真左に柱の跡、大仏のすぐ後ろに江戸時代に修復されかけた蓮弁が見えます。
蓮弁は4枚作られたところで、とん挫した模様。
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