Halohalo online

ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:サーフィン

今年の夏はスポーツが熱かったですよねぇ…私はあんまりスポーツは観るのもやるのも得意な方ではないんですけど…。

あ1

ゲストは野呂佳代さん、

あ2

川島明さん。

あ3

サーフィンをたしなむ野呂佳代の実感。
ウエットスーツは脱ぎづらい。

あ4

サーフィンはオリンピック競技種目として東京オリンピックで初採用。

あ5

ということで、今回のテーマはウエットスーツを脱ぐ。

あ7

4人の波乗り女子たちに華麗に美しくウエットスーツを脱いでいただきます。

あ8

タイトル。

あ9

”海の男”タモリは海に関する免許はだいたい持っている、というプチ自慢。

あ10

運動神経悪い芸人。

あ11

解説はプロサーファーの吉田雅南子さん。
サーフィンやってる人は名前のクセがすごい説。
五十嵐カノアとか都筑有夢路とか…。

あ12

ツアーなんかの借り物ウエットだと、微妙にサイズ合ってないから呼吸も苦しくなる。

あ13

ウエットを脱いで、戻ってきた野呂佳代。

あ14

実況は局アナの角澤照治さん。
いかにも実況一筋。

あ15

ウエットスーツいろいろ。

あ16

今回脱いでもらうウエットは特に脱ぎづらいセミドライスーツ。

あ17

セミドライは冬に着る生地厚めのウエットスーツ。

あ18

野呂佳代は夏しかサーフィンやらない。
なので、セミドライは着たことがない。

あ20

最初のチャレンジャー。

あ21

自前のセミドライスーツでチャレンジ。

あ22

ジッパーがないから脱ぐのが大変そう。

あ23

全身を濡らしてから脱ぐのが大会ルール。

あ24

まず首周りのフラップを脱ぐ。

あ25

これ、水は入りにくいだろうけど、ほんとに脱ぎづらそう。

あ26

オーダーメイドだからピッタリに作ってある。

あ27

最後の難関足首抜き。

あ28

確かにこれだけで競技になりそうな労力。

あ29

タイムは4分44秒。

あ30

審査はタイムではなく、脱ぎの芸術点で競います。

あ31

オーダーメイドなのに、腕を爪で引っかくほど苦戦するな。

あ32

顔が好みw

あ33

保温性を優先すると、どうしても脱ぎにくくなる。

あ34

次のチャレンジャーはサーフィンインストラクター。
タッパーにビキニというこなれた着こなし。

あ35

千葉はオリンピックの会場にもなったし、いい波来るんだね。

あ36

彼女も自前のセミドライでチャレンジ。

あ37

これは開口部が広く、比較的脱ぎやすい。

あ38

まず水に浸かる。

あ39

開口部が広いから首を抜きやすい。

あ40

インストラクターでも肘抜きは苦戦する。

あ41

海女のエロチシズム。

あ42

片方の裾踏んづけて、足を抜く。

あ43

2分2秒の好タイムでフィニッシュ。

あ44

芸術点は7点、6点、8点。
審査の基準がわからん。

あ45

1位タイ。

あ46

ポイントは日焼け。

あ47

日焼けの好き嫌いで審査するなw

48

続きを読む

タモリさんたちは今も残る大隈重信の別荘を訪れます。

a1

執事的な方?

a2

明治30年(1897年)創建。
敷地は約8000坪。

a3

宴会好きだった重信公。

a4

約40畳の宴会場。

a5

年間22000~23000人の来客があった。

a6

木立が低かったころには海が見えた。

a7

大物政治家たちによって花開いた湘南の別荘文化。

a8

こうして湘南には”海の別荘地”というイメージが定着しました。

a9

続いてタモリさんたちが向かったのは、茅ケ崎。
茅ケ崎と言えば、加山雄三やサザンオールスターズを輩出した湘南の代名詞。
年間300万人の観光客が訪れます。

a11

陽射しが強くなってきました。

a12

もともとは大磯が湘南発祥の地だったのに、今は多くの人が茅ケ崎が湘南の中心だと思っている。
それはなぜ?

a13

茅ケ崎の案内人は、地元の旅館の五代目、森浩章さん。

a14

飲み屋横丁にご案内。

a15

湘南っぽさはまったくないw

a16

大正5年の行楽客数。
茅ケ崎は全くメジャーではなかった。

a17

茅ケ崎がメジャーな観光地になれなかった理由は、サザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」にヒントがある。

a18

砂まじりの茅ケ崎…

a19

内陸まで砂地だったのが茅ケ崎の弱点。

a24

森さんのひいお祖父さんが茅ケ崎に客を呼び寄せるためにいろいろ知恵を絞ったそうです。

a21

タモリさんたちは森さんが営む旅館、茅ケ崎館を訪れます。

a22

旅館の庭園。

a23

庭にあるベンチがサーフボード?

a26

ひいお祖父さんがハワイから輸入した日本最古のサーフボード

a25

砂まじりの茅ケ崎を波乗りの街に。
そのきっかけがこの一枚のサーフボードでした。

a27

続きを読む










堀切峠を出発。

a1

昔は新婚旅行といえば、宮崎だった。


a2

新婚さんだらけの宮崎。

a3

昭和40年代は宮崎の新婚旅行ブーム。

a4

最盛期にはその年に結婚したカップルの約4割、37万人が宮崎を訪れました。

a5

当時のバスの車内。

a6

ということで、新婚夫婦気分でいきましょう。

a9

加藤茶婚w

a8

続いてタモリさんたちがやって来たのは、新婚旅行ブームに多くの人々が目指した場所。

a10

タモリ「ウチの女房は(バスで)寝ていましたね」w

a11

これから鵜戸神宮に向かいます。

a12

鵜戸神宮の参道

a13

参道の石がすり減るほど、多くの新婚旅行客が訪れている。

a14

新婚夫婦が求めた神社の御利益とは?

a15

鳥居の奥が本殿。

a16

石段を下りた先にある下り宮は全国的にも珍しい。

a17

厚い砂岩の層が海まで続いている。

a18

急な下り。

a19

岩穴にある本殿

a20

鵜戸神宮は安産祈願の信仰を集めている。

a21

実は私も…w

a22

鵜戸神宮は神武天皇の父の誕生の地とされ、古くから安産祈願の信仰を集めていた。

a23

昭和37年、当時の皇太子夫妻がここを訪れ、宮崎の新婚旅行ブームを盛り上げる。

a25

お乳岩。

a26

お乳岩のアップ。

a27

業界でいうところのパイオツw

a28

続きを読む

私がこの映画を最初に見たのは、サーフィンに明け暮れる登場人物たちとそう変わらない年齢の頃でした。

bw4

この映画には青春の光と影が描かれていますが、当時の私の心に焼きついたのは光の部分ばかりだったように思います。

カリフォルニアのまぶしい日差し。
サーフィン。
セクシーで可愛い女子たち。 
カフェのハンバーガー。
パーティのバカ騒ぎ。
酒、
セックス、
ケンカ。

bw3
 
そんなキラキラした映像の断片が、日本でショボイ青春を送っている若者(私)の胸に突き刺さってきました。
 ああ、やっぱりアメリカの若者たちはあんな華やかな青春を謳歌しているのだ。
 20ぐらいまで、私は素朴にアメリカに憧れていました。

それがいつの頃からか、アメリカは憧れの地ではなくなっていました。
アメリカも、私も、変わってしまった…。

主人公のマットは久しぶりに海沿いのカフェで妻と食事をとろうとしますが、そこはもう経営者が変わっていてチーズバーガーは出せないといいます。
テーブルの上でお香が焚かれているヒッピー好みのカフェ。

ベトナム戦争を体験して、アメリカは苦悩していました。
今までの自分たちを素直に肯定できなくなっていたのです。
自信をなくしたアメリカは、あの底抜けの明るさも失っていました。

輝いていたマットのサーフィン・テクニックは時代遅れなものになっていました。
羽振りが良かったベアは、海岸にたむろするのんだくれのホームレスに身を落としています。

bw2
 
 変わりゆく時代の中で変わらなかったのは、打ち寄せる波とマットたちの友情でした。

bw1

ビッグウエンズデーへの挑戦を果たしたマットは、自分のサーフボードを話しかけてきた若者に あげてしまいます。
マットは青春と決別し、新たな世代に青春を託したのです。

この映画が単なるサーフィン映画で終わらなかったのは、変わりゆくものを描くことによって、変わらないものを浮かび上がらせたからなのかもしれません。
 
ビッグ ウェンズデー [DVD]
ジャン=マイケル・ヴィンセント
ワーナー・ホーム・ビデオ
2010-04-21

 

ビッグ・ウェンズデイ(Big Wednesday)
ベイジル・ポールドゥーリス
FSM/Rambling Records
2010-06-15

 

このページのトップヘ