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ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:サンゴ









荒川にかかる秩父公園橋からスタート。

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地質や地学に興味がある人なら、秩父は必ず来る場所らしい。

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秩父といえば芝桜が有名。
一応知識はあるが、秩父初訪問の二人。

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埼玉県の西、関東山地にある秩父。
都心から特急電車で1時間半。

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年間900万人が訪れる関東有数の観光地です。

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秩父公園橋と撮影隊。

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秩父盆地の景色。

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四方を山で囲まれた盆地です。

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旅のお題「秩父はず~っと日本を盛り上げた!?」

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そう言われてもピンとこないw

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案内人は埼玉県立自然の博物館の井上素子さん。
秩父の地形や地質に詳しいそうです。

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秩父といえば、名峰武甲山。
あいにくの天気で見えない。

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晴れているときの武甲山。

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削られている?

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大正時代からセメントの原料になる石灰岩の採掘がはじまる。

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昭和30年代には全国1位の採掘量を記録。
今までに5億トンの石灰岩が掘り出されています。

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武甲山の石灰岩から作られたセメントが高度経済成長期のインフラ整備に使用されました。

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秩父の武甲山は都市の発展を盛り上げていった。
確かに関東の人間の脳裏には必ず刻まれている”秩父セメント”の名。

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石灰岩はサンゴからできる。

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ということで、秩父の地質や地形を学びながら、秩父がどのように日本を盛り上げていったのかを見ていきます。

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まずタモリさんたちがやってきたのは武甲山のふもと
なぜサンゴでできた石灰岩が山奥にあるのかを解き明かします。

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高さ65mの自然の崖。

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石灰岩は近江アナの予想と異なり硬い。

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一方で火山帯を作っている玄武岩もある。

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首里城・守礼門からスタート。
”冬は暖かい沖縄でロケ”のはずだったのに、観測史上初の雪。

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タモテバコ手渡しバージョン。

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本日のテーマ:王都・首里はサンゴでできている?

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案内役を務めるのは沖縄国際大学の田名真之先生(歴史学)と琉球大学の緒方隆幸先生(地球科学)。 

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沖縄はかつて琉球という国(琉球王国 1429~1879)でした。
首里城は琉球王国の王様の居城。
首里城は世界遺産ですが、現在の首里城が世界遺産なのではなく、地下に眠る首里城の遺構が世界遺産として認められているのだそうです。

太平洋戦争で首里城は跡形もなく破壊されてしまいました。
現在の石垣や建物は資料を基に精密に復元されたものです。

本土にはない曲線を描く石垣。

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中国と日本の建築様式と沖縄的な工夫で造られた正殿。

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首里城の復元工事現場で琉球石灰岩を見る。
この石灰岩は十万~数十万年前のサンゴ礁が石となったもの。
隙間が多く水を通しやすいのが特徴。
首里城の城壁が曲線なのは琉球石灰岩が細工しやすいという性質があったということも理由の一つのようです。

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発掘された「御嶽(うたき)」。
「御嶽」とは神様が降りてくると考えられた聖なる場所。
琉球石灰岩でできていることがわかります。

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首里城は那覇市街から100m以上高い場所にあります。

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この高低差も琉球石灰岩によるもの。
周囲の土地は浸食によって削られていきましたが、石灰岩のあるこの首里だけは浸食を免れて高台になったのだそうです。

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高台にあるこの場所で、水はどうしていたのでしょうか?

なんと城内には湧き水(龍樋)がありました。
 
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このあたりの地層は水を通しやすい石灰岩と水を通しにくい泥岩でできています。
雨水が石灰岩と泥岩の間に溜まり、それが湧き水となっているようです。

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タモリさんたちも高台に湧き水がある理由を納得w

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続いて一行は首里の城下町に移動。
ここでサンゴと城下町の関係を探ります。

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琉球王国時代から170年続く琉球王朝御用達のお味噌屋さん。
味噌作りに使う井戸の水は、やはり泥岩と琉球石灰岩の間にある水脈でした。

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これがこちらのお味噌屋さんで作っているお味噌。



続いて、武家屋敷と農家が混在していた城下町に移動。

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