Halohalo online

ブログ再開しました。 以前ほど頻繁に更新できないかもしれませんが、ぼちぼちやっていきます。

タグ:コレクション









世の中は断捨離ブームだが、実際にはこの前の辞書のコレクターのようになかなか捨てられるもんじゃない、というお話。

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ゲストは飯塚悟志さん(東京03)、能町みね子さん、

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やくみつるさん。

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相撲グッズコレクターやくさんの膨大なコレクションも、

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いつか処分しなければならない時がやってきます。

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そんな中、やくさんはラジオで「能町にならコレクションを託しても良い」と発言。

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ということで、今回の企画が実現しました。

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タモや相撲クラブの会員証。
「タモや」とはタモリや”やく”ということらしい。

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ただし、タモや相撲クラブは平成26年10月3日に結成式をやった1回しか活動がないw
会員はタモリさん、やくさん、能町さんの他には浦風親方。

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さっそく生前贈与の儀に移ります。

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一品目は、水戸泉ゆかりの品。

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水戸泉はお母さんそっくりw

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塩と升。

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水戸泉本人がつかんだ塩を自らラップで包んだもの。

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最初のお宝は、水戸泉がつかんだ塩とサイン入り升。

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水戸泉は塩を手首に乗せて大量の塩をつかみ取る。

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水戸泉本人がやくさんに勝手に送ってきたというエピソードも素晴らしい。

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次は若花田時代の若乃花のお宝。

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お宝よりも、やくが描いた色紙の方が価値
があるのでは?

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若花田が足の親指に巻いていた絆創膏w

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記者が拾って、やくにプレゼントした品。
サインは後年本人がしてくれた。

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ただのゴミもこうすると価値のあるものにw

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三品目はクイズ形式。
この人形のモデルは誰?

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ヒント:昭和37年初場所の元大関

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能町正解。

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豊山:最高位大関 最終場所昭和43年
学生横綱として入門 引退後は理事長に就任

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当時大卒の力士はいなかったので、話題となった。

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ロケ中に開催されていた蚤の市で発見。
やくは言い値(6500~70000円)で購入。

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子供の頃に流行った遊びの中で、一番印象に残っているのは酒蓋です。

ネットで酒蓋について書いてある諸サイトを見る限り、昭和40年代、少なくとも関東と関西では小学生男子の間で大流行した遊びのようです。

当時お酒(一升瓶)の蓋は平たい金属のプレートにコルクがついたものが主流でした(下の写真)。

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コルク部分は刃物あるいは歯などで切り取り、酒蓋をコイン状にします。

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① 男子は勝負事が好き

酒蓋遊びは通常1対1で行われます。

以下は私の小学校(東京都・西部)のローカル・ルールです。
双方勝負する酒蓋を1枚ずつ場に出し、ジャンケンをして先攻後攻を決めます。
先攻は、置いてある相手方の酒蓋を自分の酒蓋のフチを使ってひっくり返します。
そして、裏返った酒蓋をさらに表に返すことができれば、勝ち。
相手の酒蓋を自分のものにすることができます。
表裏をひっくり返すことができなければ、攻撃権は相手に移ります。


② 男子は道具にこる

単純な遊びでしたが、各々自分の秘蔵の酒蓋、つまり勝負に強い酒蓋というものを持っていました。
ある銘柄の酒蓋がフォルム的に返しにくいというものもありましたが、多くの男子は返しにくくするために酒蓋の裏にロウを塗ったり、カナヅチで叩いて平たくしたりという細工に余念がありませんでした。

残念ながら、この情熱が勉学方面に振り向けられることは一切ありません。


③ 男子は夢やロマンが大好物

この酒蓋をどこから調達するかというと、近所の酒屋です。
酒屋の裏手には日本酒の空瓶が入ったケースが山積みされていて、そこから蓋をいただいてくるわけです。
今のようにゴミの分別が厳格ではなかったので、3~4本に1本ぐらいは瓶に蓋がついたままでした。
どうせ捨てられるものですし、お得意先の坊っちゃんたち(かもしれない)がやることですから、これは大目に見られていたような気がします。

思うにこの遊びが大流行した理由の一つとして、元手(金)がかからなかったということがあげられます。
ガッツさえあれば、貧乏人の息子でも大酒蓋持ちに成り上がることができたのです。
酒蓋ブームは、小学生男子ドリームの到来でもあったのです。


④ 男子は冒険も大好き

しかし、近隣の小学校でも酒蓋が流行り始めると、どこの酒屋でも小学生に空き瓶の蓋を持ち去られてしまうという事態になり、酒蓋は慢性的品薄状態に陥りました。

この危機的状況を打開するためにクラスの男子たちは遠征隊を派遣しました(と言っても学校から半径3キロの行動範囲だけど)。
そして、この遠征隊はコロンブスのアメリカ大陸発見にも等しい偉業を成し遂げます。

これが、空き瓶倉庫の発見です。
お酒の空き瓶は酒屋から回収され、一旦倉庫に保管されます。
倉庫から空き瓶の再利用のためにしかるべき施設にまた移送されるのでしょうが、私たちはその一時保管場所である倉庫に目をつけたのです。
大人にはただの倉庫ですが、私達の目には酒瓶が山と積まれた倉庫は大金鉱脈に見えました。
私達の小学校の近所では、この金鉱脈が2箇所発見されました。

私達は自転車に乗り、グループ単位で保管倉庫の酒蓋採取に行きました。
しかし、宝の山を前にしてもそうやすやすと宝を我が物することはできません。
倉庫の従業員が意地悪だと酒蓋を取らせてくれませんし、酒蓋がほしいというと、酒瓶から蓋を抜き取ってはそれを私達にぶつけてくるヤカラもいました。
世間は甘くないことを私達は学びました。
結局私たちは大人たちが倉庫にいない時を見計らい、素早くいただいてくるという作戦をとっていました。


⑤ 掟を破った者には厳しい制裁が課せられる

5、6人のグループで倉庫で酒蓋をとり、戦利品の酒蓋は公園などで公平に分配されるシステムでした。
しかし、裏切り者が出るのは世の常、自分がとった酒蓋が珍品だったりすると、これを何食わぬ顔で体のどこかに隠してしまう者もいました。

一度クラスメイトのY君と何人かで倉庫に行ったことがあるのですが、事前に仲間からYはガメ(ちょろまかし)の常習者だという情報を得ていました。
酒蓋採取が一段落したところで、みんなが取った酒蓋を一つのビニール袋に入れました。
その直後に、仲間の一人のK君がY君にその場でジャンプするよう命じました。
みんなの視線に気おされて、Y君はその場で飛び上がりました。
チャラッという音が半ズボンの両方のポケットから聞こえました。
「忘れてた…」
見え透いた言い訳をしながら、Y君はポケットからガメた酒蓋を取り出しました。
「まだ、あるだろう」
ジャンプを命じたK君はベテラン刑事のような凄みでY君を追い込みます。
Y君は観念したように履いていたハイソックスを下に下ろしました。
するとすでにコルクも取られて平たくなった酒蓋がバラバラとY君の足元に散らばったのです。
落ちた酒蓋は、見たことのない珍品の銘柄ばかりでした。
これは重罪です。
Y君がガメた酒蓋をすべて回収すると、私達はさりげなくアイコンタクトを取りあいました。
この後やることはわかっていました。
私達は自転車で公園に向うふりをして、途中で急にスピードをあげました。
小柄なY君はそのスピードについてこれず次第に離されてゆきます。
「待ってよおぉぉ~」
Y君はもう泣き声になっていました。
曲がり角をいくつも曲がると、Y君の姿はとうとう見えなくなりました。
酒蓋をガメた罰として、Y君は撒かれ、分前を没収されたのです。

とはいえ、男子はルールを神聖なものとみなしているわけではありません。
むしろ本質的に男子はルールが嫌いです。
私たちはY君が掟破りをすることを知った上で彼を仲間に入れ、結局彼の分前を我が物にしたのです。
男子にはそういう腹黒いところがあります。


⑥ 男子には収集癖がある

さて、空き瓶倉庫の発見によって酒蓋の供給源が確保されると、酒蓋遊びは量より質の時代に移行します。
酒蓋市場において、白鶴や大関といった大メーカーの酒蓋は二束三文の価値しかなく、地方の酒蔵で作られるようなマイナーな酒の蓋が珍重されるようになります。
そういった珍しい酒蓋は大メーカーの酒蓋20~50枚といったレートで取引されるようになります。
また、小瓶の小さな蓋も珍重されました。
小瓶でコルクの蓋を使う銘柄は数が少なかったのです。
こうして酒蓋は勝負して遊ぶ事よりも、珍品の収集にその重点が移っていきました。
私も珍品コレクションに夢中になり、貴重な酒蓋は高級クッキーの缶に大切にしまわれました。
中でも私の自慢の逸品は黄桜の蓋でした。
黄桜は今も現存する大メーカーで、普通の蓋は全く珍しくないのですが、私の黄桜はフチがギザギザになっていたのです(普通のはフチがツルツル)。

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⑦ 男子の宝物は、女子にはゴミにしか見えない


一大ブームを巻き起こした酒蓋もやがて終焉を迎えることになります。
酒蓋遊びが下火となった大きな要因として、酒蓋のコルク部分がプラスチックになっていったことが挙げられます。
プラスチックはカッターで切っても厚いヘリが残ってしまい、酒蓋遊びに向きませんでした。
それに何よりプラスチックは見た目に情緒がありませんでした。
酒蓋遊びが流行った当初は少数派だったプラスチック製が、次第に酒蓋の主流を占めるようになっていったのです。

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ブームが去ってしばらく後、ゴミ箱用の大きなポリバケツ一杯にあった私の”資産”はある日母親に捨てられていました。
私はもちろん母親に抗議しましたが、もう遊んでいないものだっただけにそれほど抗議に熱はこもっていなかったような気がします。
そして、高校生の頃でしょうか、物置の奥にしまわれていたクッキー缶の酒蓋コレクションがなくなっていることに気づきました。
さすがに文句は言いませんでしたが、とても悲しかったことは覚えています。
あのコレクションだけは手元に残して置きたかった…今でもそう思います。


⑧ 男子とは、アホである

基本的に男子とはアホな動物です。
男子が夢中になってすることは、99%何の役にも立たないことです。
ただそのうちの1%が、たまたま世の中にとって有用な発見や発明になるのだと思うのです。

例えば、ライト兄弟。
彼らは運良く飛行機を飛ばすことに成功したから歴史にその名が残りましたが、もし飛べていなかったら近所で有名なただのアホ兄弟だったはずです。
ライト兄弟の栄光の陰には、同じように空への飛翔を試みた無名のアホたちの存在があったに違いありません。

社会の管理下が進み、遊びはもっぱらゲームの現在、アホ男子はもういないのでしょうか。
ちょっと寂しいです。



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