私がこの世で苦手なものの一つにカラオケがあります。
お金を払って、人前で歌う。
意味が解りません。
まあ、それが楽しい人は楽しいのでしょうから、どうぞ勝手にやってくれという感じです。
しかし、社会人として生活しているとつき合いとういうものがあります。
行きたくもないカラオケに行かなくてはならないこともあります。
世の中の人の8割強は「カラオケが好き、どちらかというと好きという」カテゴリーに分類されています(私の勘)。
そうすると、必然的に2次会はカラオケで…という空気になりがちです。
ほんとうは帰りたいのだが、諸般の事情でつき合わなくてはならない。
日本人なら誰しもこういう場面に遭遇するはずです。
私にとってカラオケタイムは地獄の時間。
とにかく、時が過ぎ去るのをひたすら待つしかありません。
目立たないようにカラオケボックスの隅でじっと身を潜めているのですが、絶対に「1曲どう?」というお声がかかります。
ほんとうは歌いたいけど、奥ゆかしく控えている。
そう思われているようです。
カラオケ好きの人にはカラオケ嫌いの心は理解できないのです。
しかし、ここで歌いたくないから歌いませんとは、口が裂けても言えません。
この国において、場の空気を乱す人間は重罪です。
社会不適合者の烙印を押されます。
つらいところです。
そもそも歌にさほど興味がない私は、まともに歌える歌など皆無なのです。
サラリーマン1年生の時はどうしても歌わなくてはならなくて、私は仕方なく中学生の時に習った「大漁節」をアカペラで歌って先輩方を唖然とさせました。
「大漁節」は中学の定期試験で独唱しなくてはならなかったのでなんとか覚えていたのです。
私とて、歌わなくてはいけないのなら歌います。
運動嫌いの人だって、学校の試験なら1500メートル走るし、走り高跳びもやるでしょう。
それと同じです。
金払ってまでやる意味がまったく解らんのです。
こんなことではいけないと思い、一時ちゃんと曲を覚えてカラオケに臨んだこともあります。
まずまずの音程で歌は歌えましたが、やっぱりちっとも面白くはありませんでした。
酒を飲んで羞恥心を麻痺させ、流行りの歌を人前で披露する。
私にとって苦行でしかありません。
だいたい上手くもない、さりとて笑えるほど音痴でもない歌を聞いて人様は面白いのでしょうか。
こんな私でも、機嫌がいいときは鼻歌ぐらいは歌います。
鼻歌の良さは誰も聞いていないということです。
だから鼻歌は気楽に歌えます。
小耳にはさんだポップスのサビだけを繰り返し歌ったり、CМソングだったり、
あるいは即興の作詞作曲のデタラメ歌をがなったりします。
プロの歌手でもない限り、人様に歌を聴かせるのは”迷惑”だというのが私の認識です。
だから、カラオケボックスは自分が人様に迷惑をかけるまで、他人の迷惑をじっと我慢する場所です。
ほんと、意味が解りません。
拷問室
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