
相撲の決まり手みたいな”鬼押出し”w

めっちゃ押し出したんだろうなw

一面溶岩がゴロゴロしている世界。

案内人は日本大学の安井真也先生。
専門は火山地質学。

あいにくのお天気で浅間山は見えません。

ということで、恒例のパネル撮影。

晴れていればこんな感じ。

鬼押出しは天明の噴火で流れてきた溶岩。

活火山の浅間山は天明3年(1783年)に大噴火を起こしました。
新暦5月9日から8月5日まで約90日間続く。

8月4日にクライマックスを迎えた天明の大噴火。

クライマックスの噴火を描いた当時の絵図。

しかし、それは終わりの始まりだった…。

8月4日18時からの24時間で、不可解で謎だらけの出来事がいくつも起こりました。

お題出すのを忘れてましたw

ということで、お題は「江戸時代の大噴火!衝撃の1日に何があった?」。

鬼押出し溶岩はラスト1日のプロローグ(序章)。
ド派手なオープニング。

鬼押出し溶岩は赤い。
→酸化した鉄→溶岩が空気に触れている

一度空気に触れたマグマのしぶき(溶岩噴泉)が溶岩となって流れ出している。

江戸時代の絵図を見ると、天明の大噴火は溶岩噴泉とプリニー式噴火が同時に起きたらしい。

想像再現図。

タモリさんたちは鬼押出し園から西へ2キロの場所に移動。
さらなる謎だらけの出来事に迫ります。

ヒカリゴケが付いている穴。

あたり一面に大小様々な穴が空いている。

”樹型”と言って、溶岩で焼かれた木の跡が穴となっている。

流れてきた高温の溶岩で木は黒焦げになる。

あとに空洞が残る。
これを溶岩樹型という。

ハワイの樹型には樹皮の跡が付いているが、ここの樹型にはそれがない。

溶岩ではなく、火砕流でできた樹型かもしれない。

ただ、火砕流は普通凄まじいスピードで通過するので、木はなぎ倒される

火砕流で樹型ができたのは世界でもたぶんここだけ。

現在もこの樹型の謎の解明がおこなわれています。

次にタモリさんたちは浅間山から北へ8キロの場所に移動します。
ここで天明3年の8月5日午前中に起きた謎の出来事を探ります。

観覧車を発見。

観覧車は乗りませんw

溶岩がゴロゴロしている遊園地のフィールドアスレチックエリアを歩く。

林田「あー釣れてる!」

完全に観光気分の林田アナw

長さ約20メートルの巨石。

赤色立体図で見る浅間山とその周辺。
手前のつぶつぶが散らばっているところが今いる場所。

火山弾:
火口から飛び出したマグマの破片が空中で固まったもの
ただ、ここは火口から8キロもあるので、火山弾は考えにくい。

タモリさんたちは浅間山の中腹に移動。
ここで巨石群出現の謎を探ります。

見晴らせない見晴らし台w

赤色立体図で、この下が大きな窪地になっていることを確認。

江戸時代の絵図を見ると山腹でも噴火があったぽいっ。

8月5日の午前10時ぐらいに大音響があった。

その音は京都や中国四国地方まで聞こえたらしい。

昔は遮蔽物も少なかっただろうから、聞こえたかもしれない?

ここの窪地は中腹の大爆発の痕跡。
そして、大爆発によって巨石が出現した。

富士山も山の中腹で噴火し、宝永火口ができた。

浅間山と問答する安井先生。

中腹の大爆発については火口が溶岩で覆われてしまい、未だに謎が多い。

タモリさんたちは爆発地点から北に9キロ、嬬恋村の鎌原(かんばら)という集落にやってきました。
ここでは一体何が起こったのでしょう。

タモリさんも一度は来てみたかった鎌原観音堂。

橋の下にも階段がある。
なぜ?

本当は50段あった階段が埋められて15段になっている。

大爆発による地すべりで村が埋まってしまった。

鎌原はポンペイのようになってしまった。

ポンペイの火砕流のように高温ではなかったので、観音堂に逃げて助かった人たちもいる。

鎌原村570人中477人が死亡。
93人が助かる。

40年前にここの発掘調査をした松島榮治先生。

おんぶの状態で二人の遺体が発見される。

背負っていたのは40~50代の女性、背負われていたのは60代以上の女性。

復元された二人の顔。
親子だったのではないか?

一人なら助かったのに、母親を見捨てることができなかった。

人々の命を救った観音堂をお参り。

運命の1日を締めくくる出来事とは?

タモリさんたちは浅間山の麓にある森林にやってきました。
きれいな池がある。

末端崖:
溶岩流の末端に生じた崖
湧水があるところで溶岩が止まり、溶岩の熱で温泉が誕生。

天明の大噴火~まとめ
天明3年8月4日夜
クライマックス噴火で鬼押出しの溶岩誕生。

8月5日午前
謎の大爆発で巨石群出現。

鎌原の悲劇。

8月5日午後
溶岩による温泉の誕生。

タモリ「浅間山、見直しました」

エンディング♪

次回(10月19日)は草津です。

ここで天明3年の8月5日午前中に起きた謎の出来事を探ります。

観覧車を発見。

観覧車は乗りませんw

溶岩がゴロゴロしている遊園地のフィールドアスレチックエリアを歩く。

林田「あー釣れてる!」

完全に観光気分の林田アナw

長さ約20メートルの巨石。

赤色立体図で見る浅間山とその周辺。
手前のつぶつぶが散らばっているところが今いる場所。

火山弾:
火口から飛び出したマグマの破片が空中で固まったもの
ただ、ここは火口から8キロもあるので、火山弾は考えにくい。

タモリさんたちは浅間山の中腹に移動。
ここで巨石群出現の謎を探ります。

見晴らせない見晴らし台w

赤色立体図で、この下が大きな窪地になっていることを確認。

江戸時代の絵図を見ると山腹でも噴火があったぽいっ。

8月5日の午前10時ぐらいに大音響があった。

その音は京都や中国四国地方まで聞こえたらしい。

昔は遮蔽物も少なかっただろうから、聞こえたかもしれない?

ここの窪地は中腹の大爆発の痕跡。
そして、大爆発によって巨石が出現した。

富士山も山の中腹で噴火し、宝永火口ができた。

浅間山と問答する安井先生。

中腹の大爆発については火口が溶岩で覆われてしまい、未だに謎が多い。

タモリさんたちは爆発地点から北に9キロ、嬬恋村の鎌原(かんばら)という集落にやってきました。
ここでは一体何が起こったのでしょう。

タモリさんも一度は来てみたかった鎌原観音堂。

橋の下にも階段がある。
なぜ?

本当は50段あった階段が埋められて15段になっている。

大爆発による地すべりで村が埋まってしまった。

鎌原はポンペイのようになってしまった。

ポンペイの火砕流のように高温ではなかったので、観音堂に逃げて助かった人たちもいる。

鎌原村570人中477人が死亡。
93人が助かる。

40年前にここの発掘調査をした松島榮治先生。

おんぶの状態で二人の遺体が発見される。

背負っていたのは40~50代の女性、背負われていたのは60代以上の女性。

復元された二人の顔。
親子だったのではないか?

一人なら助かったのに、母親を見捨てることができなかった。

人々の命を救った観音堂をお参り。

運命の1日を締めくくる出来事とは?

タモリさんたちは浅間山の麓にある森林にやってきました。
きれいな池がある。

末端崖:
溶岩流の末端に生じた崖
湧水があるところで溶岩が止まり、溶岩の熱で温泉が誕生。

天明の大噴火~まとめ
天明3年8月4日夜
クライマックス噴火で鬼押出しの溶岩誕生。

8月5日午前
謎の大爆発で巨石群出現。

鎌原の悲劇。

8月5日午後
溶岩による温泉の誕生。

タモリ「浅間山、見直しました」

エンディング♪

次回(10月19日)は草津です。

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