タモリさんたちは西軍の本陣から西北に1キロほどの場所にやってきました。

鞍馬口通(くらまぐちどおり)。
実はタモリさんお気に入りの場所。
うまい蕎麦屋と漬物屋がある。
魚屋のポテトサラダも美味。

温泉もあります。

町の向こうに見える船岡山。

西陣織発展のカギを握る船岡山。
標高約112メートル。

船岡山を登る。

頂上から京都市内を一望できる。
(あいにくのお天気ですが…)

船岡山は京都の人たちにとって特別な場所。

これは…

チャート:
プランクトン(放散虫)の死骸が堆積してできた岩

今回注目するのは、岩の種類ではなく岩の表面。

この岩はもしかして信仰の対象?

よーく見ると…

仏様がいる。
彫られたらしい。

船岡山は京都の人々にとって、「あの世の入り口」だった。

もともと船岡山一帯は墓場に選ばれるような原っぱだった。

室町時代以前、「あの世の入り口」だったなにもない原っぱ(紫)。

何もなかったからこそ、西陣が大きく発展できた。

西陣が発展した理由を納得。

再び西陣の中心地に戻ってきたタモリさんたち。
江戸時代に西陣がどれほど繁栄したのかを確かめます。

案内人は再び観光ガイドの鳥井光広さん。

江戸時代に最も栄えた通り、千両ヶ辻。
1日千両(約6000千万円)の売上があったらしい。

江戸の面影を残す千両ヶ辻の家屋。

職人さんが作業中。

江戸中期から280年続く帯問屋の10代目。


鞍馬口通(くらまぐちどおり)。
実はタモリさんお気に入りの場所。
うまい蕎麦屋と漬物屋がある。
魚屋のポテトサラダも美味。

温泉もあります。

町の向こうに見える船岡山。

西陣織発展のカギを握る船岡山。
標高約112メートル。

船岡山を登る。

頂上から京都市内を一望できる。
(あいにくのお天気ですが…)

船岡山は京都の人たちにとって特別な場所。

これは…

チャート:
プランクトン(放散虫)の死骸が堆積してできた岩

今回注目するのは、岩の種類ではなく岩の表面。

この岩はもしかして信仰の対象?

よーく見ると…

仏様がいる。
彫られたらしい。

船岡山は京都の人々にとって、「あの世の入り口」だった。

もともと船岡山一帯は墓場に選ばれるような原っぱだった。

室町時代以前、「あの世の入り口」だったなにもない原っぱ(紫)。

何もなかったからこそ、西陣が大きく発展できた。

西陣が発展した理由を納得。

再び西陣の中心地に戻ってきたタモリさんたち。
江戸時代に西陣がどれほど繁栄したのかを確かめます。

案内人は再び観光ガイドの鳥井光広さん。

江戸時代に最も栄えた通り、千両ヶ辻。
1日千両(約6000千万円)の売上があったらしい。

江戸の面影を残す千両ヶ辻の家屋。

職人さんが作業中。

江戸中期から280年続く帯問屋の10代目。

御紋本集:
注文された切れ地をデータとして残した見本ぎれ帳。

家紋の切れ地。
天皇家をはじめ、公家、武家、有力神社仏閣の家紋がずらり。

五摂家筆頭、近衛家の牡丹紋。

京都という土地柄を活かし、セレブをお得意様にして大発展を遂げた西陣。

エジプト壁画柄の帯?

明治に訪れた大ピンチ。
遷都で天皇さんが公家さん連れて東京にいかはるわ、洋装化が進んで着物が廃れるわ。

このピンチをどうやって乗り越えたのか。
タモリさんたちは織物工場を訪れます。

明治時代の技術をそのまま使って西陣織を織っている。

あれは何?

ジャカード織りって聞いたことあるな。

織り方のパターンをパンチカードが覚えているから効率的に織れる。

海外の新技術で西陣織の大量生産が可能になる。

海外の新技術を取り入れ、西陣織は応仁の乱と明治維新を乗り越える。

織屋戸数の推移。
一時期ピンチを迎えたが、大正期に向かって盛り返す。

急増した職人たちを西陣はどうやって受け入れたのでしょうか?

京都特有の町家と路地。
上に住んでいる人の名前が書いてある。

奥に進んでみます。

一つの大きな屋敷を細かく切り売りして、人口増加に対処した。

見るのはいいけど、夏場は風が通らなくて暑そう。

エンディング♪

次回(7月20日)は釧路湿原です。

注文された切れ地をデータとして残した見本ぎれ帳。

家紋の切れ地。
天皇家をはじめ、公家、武家、有力神社仏閣の家紋がずらり。

五摂家筆頭、近衛家の牡丹紋。

京都という土地柄を活かし、セレブをお得意様にして大発展を遂げた西陣。

エジプト壁画柄の帯?

明治に訪れた大ピンチ。
遷都で天皇さんが公家さん連れて東京にいかはるわ、洋装化が進んで着物が廃れるわ。

このピンチをどうやって乗り越えたのか。
タモリさんたちは織物工場を訪れます。

明治時代の技術をそのまま使って西陣織を織っている。

あれは何?

ジャカード織りって聞いたことあるな。

織り方のパターンをパンチカードが覚えているから効率的に織れる。

海外の新技術で西陣織の大量生産が可能になる。

海外の新技術を取り入れ、西陣織は応仁の乱と明治維新を乗り越える。

織屋戸数の推移。
一時期ピンチを迎えたが、大正期に向かって盛り返す。

急増した職人たちを西陣はどうやって受け入れたのでしょうか?

京都特有の町家と路地。
上に住んでいる人の名前が書いてある。

奥に進んでみます。

一つの大きな屋敷を細かく切り売りして、人口増加に対処した。

見るのはいいけど、夏場は風が通らなくて暑そう。

エンディング♪

次回(7月20日)は釧路湿原です。

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