今日は東京・白金。

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プラチナ通りからスタート。

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白金の位置確認。

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白金はオシャレな高級住宅街というイメージ。

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案内人は東京の都市形成を研究している岡本哲志さん。
白金に住むオシャレな子育て世代の女性をシロガネーゼという。

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今日のお題は「白金(シロカネ)はなぜシロガネーゼの街になった?」

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高級住宅街の必要条件。

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豪邸・緑・高台・治安。

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第137回 東京・白金

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まずは白金随一の大豪邸、朝香宮邸を見学します。

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旧皇族の朝香宮鳩彦王と允子妃の邸宅。
昭和8年完成。
敷地面積1万坪以上。

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現在は東京都庭園美術館です。

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ルネ・ラリック:
フランスのガラス工芸家
20世紀前半に活躍

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ここの案内人は東京都庭園美術館学芸員の板谷敏弘さん。

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アール・デコ:
1910~30年年代パリを中心に栄えた装飾様式
左右対称など幾何学的なデザインが特徴

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職人の技が光る漆喰の天井。

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漆喰:
石膏と比べ柔らかく乾くのが遅い
塗っているうちに形が崩れやすい

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豪邸ができた翌年の映像。
庭園の池で遊ぶ子供(メッチャ泣いてるけど)。

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庭にはシロクジャク。

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戦後、GHQにより皇族の特権が廃止され、資産に課税されます。

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朝香宮の場合、全財産の79%が財産税。

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この豪邸を引き継いだある有名な政治家。

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吉田茂が昭和22~29年外務大臣・総理大臣公邸として旧朝香宮邸を使用する。

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これによりGHQの接収を免れ、旧朝香邸は元のままの姿を残すことができました。

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旧朝香邸の周りには広大な緑地(自然教育園)。

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首都高速2号目黒線:
昭和42年(1967)開通。
一ノ橋ジャンクション(港区)~荏原・戸越出入口(品川区)

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自然教育園の北側にある行き止まりの道路は何?

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実は高速道路を自然教育園の中に通す計画があった。
しかし、自然教育園を管轄していた文部省がこれを阻止。

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高速道路のルートは自然教育園の西側に変更されましたが、そこでもさらなるせめぎあいがありました。

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当時の建設省は歩道を通そうとしましたが、文部省がこれを押し戻し、歩道は行き止まりになりました。

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タモリさんたちは東京ドーム4.2個分の広大な敷地の自然教育園に入ります。

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絶滅危惧種トラノオスズカケ。
本来は四国や九州に自生する植物。

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案内人は自然教育園名誉研究員の矢野亮さん。

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ここは江戸時代、松平讃岐守(高松藩)の下屋敷(別宅)だった。

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だから四国の植物が植えてあった。

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樹齢350年のクロマツ。

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江戸時代まで盆栽のように曲げようとしたが、その後ほったらかしになりまっすぐ上に伸びる。

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実は白金という地名の由来もこの園内にあります。

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小高くなっているのは人工的に築かれた土塁。

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この土塁は室町時代の豪族が築いたものだそうです。

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室町時代、このあたりは銀三田郷という地名。
ここの豪族は銀をたくさん持っていたらしい。
銀は「しろかね」と呼ばれていた。

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この地名は銀をたくさん持っていると宣伝するようなもの。
盗人に狙われるのでは?

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明治以前は屋敷の庭園だったことがわかりましたが、明治以降はなぜ大規模な開発がされなかったのでしょう?

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その答えのヒントになるのが、ジャヤナギの木。
明治時代に植えられたそうです。

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明治時代、ここは火薬庫だった。
このあたりの土地の歴史にやたら詳しいタモリさん。

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火薬の原料としてジャヤナギの炭が適していた。

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倉庫以外の場所には手をつけなかったため、多くの緑が残される。

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自然教育園の変遷。
屋敷の庭→火薬庫→御料地→国の天然記念物

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東京・白金②に続く