次にタモリさんたちがやってきたのは、徳島市から西に10kmの石井町。
かつての藍商人の繁栄ぶりを拝見します。

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敷石に注目。

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青石:
秩父、愛媛、徳島などで採れる緑泥片岩
高級石材として庭石や石垣などに使われる

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藍商人の屋敷

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江戸末期(1862年)の建築。

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藍づくりの現場。

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タデ藍の葉を細かく砕いて乾燥させ、何度も水をかけながら発酵させる。
完成までに1年かかる。

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藍の値段はお米の2倍。

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明治中期に染められた藍染め。

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昔は「アイのない生活」は考えられなかったw

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藍の地域別生産高(明治33年)
徳島は飛びぬけている。

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高品質の阿波藍はブランド化していた。

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別の藍商人のお宅。

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なぜ徳島の藍は良質だったのか?
この家の造りにヒントがある。

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石垣の角が鋭い。

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暴れ川(吉野川)の洪水に関係あり?

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洪水の際に石垣の角で水が二手に分かれて水圧を下げる。

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大正元年の洪水では水が床上30cmまで来た。

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洪水が来るような場所に住み続けたのは、良質な藍がとれるから。

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藍は1度作ると土の養分をほとんど吸収してしまうため連作に不向き

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このあたりは洪水が毎年のように肥沃な土壌を運んだため連作が可能だった

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明治25年の長者番付。

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全国約1600人の豪商のうち、徳島の豪商が123人ランクイン。

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藍商人は阿波踊りを金銭面で支援しただけでなく、音楽にも深くかかわっていました。

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タモリさんたちは藍商人と音楽の関りを探るため、徳島市内の富田町にやってきました。

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踊りの研究家、小林先生再び登場。
このあたりは昔花街だったそうです。

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料亭でお座敷遊びを見学。

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江戸時代のお座敷では、よく盆踊りの唄が歌われていた。

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ペン、ペケ、ペンペン♪

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盆踊り唄をBGMにしてお酒を飲む藍商人。

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現代の阿波踊りの音楽とは全く違う。

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この盆踊り唄が藍商人によって全く違うものに変えられていく。

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牛深ハイヤ節:
江戸時代、現在の熊本県牛深地方で生まれた民謡

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牛深ハイヤ節の調子を変えると今の阿波踊りの音楽になる。

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砂持:
大阪で行われていた祭り
この調子ことばが阿波踊りに持ち込まれる

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疑うタモリ氏。

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たぶんこうだったんだろう劇場ですw

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肥後の牛深ハイヤ節を藍商人が伝えた?

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藍商人は全国に阿波藍を売りさばいていた。

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藍商人は全国の音楽を地元に伝え、ミックスさせた。
藍商人DJ説w

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阿波踊りは全国の民俗芸能の粋を集めた超ミックス踊り。

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明治末期、化学染業の台頭によって藍産業が衰退。
新しい産業として阿波踊りをメインにした観光が注目されました。

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しかし、阿波踊りを観光の目玉にするには課題があった。

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当時は踊りが洗練されていなかった。

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阿波踊り界のレジェンド!

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四宮賀代さんがもたらした阿波踊り革命とは?

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現在の阿波踊りは四宮さんが1983年に生み出した。

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こういう時の冗談って、28歳が多いのはなぜ?

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四宮さんは阿波踊りの中興の祖。

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高く舞い上げる美しい指先。

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鋭くとがったシャープな笠。

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高く跳ね上げるダイナミックなステップ。

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自分が所属する連(踊り手のグループ)で始めたところ、皆がこぞって真似をするようになり、広まった。

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最後はみんなで阿波踊り。

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自称元ZOOの人w

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タモリ感w

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踊る阿呆に見る阿呆♪
同じ阿呆なら踊らにゃなそんそん♪

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エンディング♪

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次回(3月16日)は鳴門です。

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