御殿はなぜこの場所が選ばれたのか?

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古地図の道をたどりながら川崎フロンターレの本拠地へ。

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この高低差は何?

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江戸時代はここに多摩川が流れていた。

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この凹みは多摩川の痕跡。

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多摩川は御殿を守る堀としての役割を果たしていた。

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高低差を示す地形図でもタモリさんたちがいるところは低くなっている。

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現在の多摩川。

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江戸時代、多摩川は蛇行して御殿のそばを流れていた。

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等々力競技場

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等々力と言えば、世田谷区にもある。

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多摩川を挟んで東京と神奈川に同じ地名がある。

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昔は蛇行して流れていたので、等々力は分断されていなかった。

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視聴者も同じ気持ちw

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昔はくねくねと蛇行して流れていた多摩川。

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多摩川の流れがまっすぐになり、町(村)が分断される。

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「下野毛美容室」で想像をたくましくする若き日の森田青年w

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多摩川は武蔵小杉の発展にも関係しています。
徳川家康が多摩川を利用してあるものを作りました。

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タモリさんたちは再びタワーマンションの足元へ。

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この道のカーブに目をとめたタモリさん。

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カーブ沿いにあるお宅を訪問。

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ワンちゃんがお出迎え。

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やはりカーブの道は小川だった。

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明治初期につくられた迅速測図。

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小川が流れていた。

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このあたり一帯、網の目のように水が流れていた。

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これは1599年に徳川家康がつくり始めた用水路。

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犬とタモ爺w

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ニヶ領用水:
1611(慶長16)年に完成
幹線水路は約32km

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江戸の街づくりの一環として、この用水で田んぼを作らせた。

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田んぼの土地があったので、のちに工場が進出。
水は工業用水としても利用された。

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ニヶ領用水の痕跡は現在の町並みにも残っていました。

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交差点で小学生の一団に遭遇。

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小学生でブラタモリ知っているのか。

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小2がワチャワチャw

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「録画!録画!」と言いながらダッシュで去るw

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よく見ると街のあちこちに用水路の痕跡がありました。

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現代的なタワーマンションの足元に江戸時代の痕跡。

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意図的に残したのか?
だとしたら、川崎市はエライ。

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最後にタモリさんたちがやってきたのは武蔵小杉を一望できる多摩川の対岸

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黄昏時の武蔵小杉。

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再開発しつくしたようなタワーマンションの街に、江戸時代の痕跡がまだ残っているのは不思議。

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エンディング♪

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次回(2月16日)はパリです。

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