朝倉氏の館跡

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門に彫られた朝倉氏の家紋。

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ドローン撮影。

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朝倉氏の館の井戸で発見された欠片から復元されたベネチアングラス。

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一乗谷は水運で豊かになった。

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栄華を誇った一乗谷も1573年に滅ぼされ、町の中心は平野に移されます。

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タモリさんたちは一乗谷から西に10km、福井城に移動。
実はここには一乗谷の遺産が残されています。

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福井城の門。

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屋根が真っ白。

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石の瓦!?

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笏谷石(しゃくだにいし):
火山灰などが固まった凝灰岩の一種
鉱物の変成による緑がかった色が特徴

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柔らかく加工しやすい笏谷石は、福井城ではいたる所に使われています。

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笏谷石の加工技術は一乗谷で培われたもの。

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石の瓦は一乗谷の遺産。

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福井城から西に2km。
タモリさんたちは笏谷石の石切り場にやってきました。
現在は料亭になっています。

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この地下は(柵谷石を)採掘した立て坑跡に水が溜まっている。

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一乗谷の時代に本格化した笏谷石の採掘は、江戸時代になると福井に莫大な利益をもたらします。

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美しく加工がしやすい笏谷石は全国で盛んに売買されるようになりました。

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石切り場(料亭)の前の道で何かに気づいたタモリさん。

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この道は川っぽい。

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話についていけない林田アナw

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昔は石切り場の前に川が流れていて、笏谷石を積み出す川港があった。

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川の付け替えを知らない林田アナ。

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笏谷石を積んだ船は三国港へ。

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笏谷石は北前船で全国に売り広げられた。

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続いてタモリさんたちが向かったのは福井の市街地。
城下町に残る一乗谷の遺産を探します。

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江戸時代の福井城下の中心街


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下一乗町錦公園。
一乗谷の地名がここに残っている。

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一乗町は戦火によって谷を追われた一乗谷の商人や職人が移り住んだ町。

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国島商店
古地図に書かれてある「国島」の名前が残されている。

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古地図に書かれている組頭国島和三郎は10代目。

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この方は18代目。

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国島家に伝わる朝倉の家紋の入った留袖。

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なぜ朝倉の家紋が使われているのか?

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一乗谷が滅亡した後、国島家に朝倉の娘が嫁いできた。

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それ以来、国島家では代々娘の花嫁衣装に朝倉の家紋をつける習わしが生まれたそうです。

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今も生き続ける朝倉のプライド。

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エンディング♪

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次回(2月9日)は武蔵小杉です。

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