豊洲ふ頭の突端からスタート。

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オリンピック選手村建設中。

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東京タワー。

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都民でも割と知らない豊洲の位置。

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豊洲と現在位置確認。

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旅のお題は「TOKYOサポーターは豊洲にやってくる!?」。

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サポーターというとスポーツの下履きを思い出す古い世代w
そういえば水泳パンツの下にサポーターを履く人はいなくなったなあ。

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第121回 東京・豊洲

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最初にタモリさんたちがやってきたのは豊洲の中心、駅前のバスロータリーです。

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案内人は芝浦工業大学の志村秀明先生。

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豊洲名物水陸両用バス

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スクリューがついています。

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水陸両用バスで豊洲の歴史を探訪。

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昭和3年の東京湾の海図。
豊洲はまだできていない。

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昭和7年に豊洲の一部が完成する。

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昭和になってから埋め立てられたお台場。

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台場:
江戸時代に外国の船から江戸の町を守るためにつくられた
東京湾に浮かぶ砲台跡

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特設スロープから入水。

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スプラッシュマウンテンみたいだ。

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ザッ

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プーン。

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船になったバス。

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緑の島は何?

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東京港旧防波堤
昭和10年代につくられました。

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今は埋め立て地に挟まれていますが、昔は何もなく波から船を守っていました。

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谷積み:
石の寸法が違うものを組み合わせて積む石垣
構造的にとても頑丈

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防波堤は第三台場の先まで伸びている。
全長3.5km。

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昭和初期、東京湾を国際的な港にするため大規模な整備を行いました。
しかし、そのため東京の財政は大赤字となりました。

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日本萬國大博覧会會會場配置圖

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赤字を解消するために東京万博の開催をもくろむ。
しかし、日中戦争の激化により延期を余儀なくされました。

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オリンピックのバレーボール会場も建設中。

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「止めるぞ高潮 守るぞ都民」。

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落語家みたいな名前w

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再び上陸。
今度はハンマー型の豊洲の柄の部分が誕生した秘密を探ります。

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戦争直後アメリカ軍が作成した東京の地図。
黄色い部分が建物が密集しているエリア。
灰色の部分は空襲で焼けたエリア。

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ここにどうして豊洲の柄の部分ができたのか?

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赤い部分はアメリカ軍が接収した場所。

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東京港の沿岸部分をほとんど接収されたため、貨物船をつける場所がなくなってしまいました。

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そこで豊洲に船を着岸できる埠頭をつくることになったのです。

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ここに戦後復興のための資材が日本中から集まってくることになったのです。

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次の場所に移動。

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「時々見てます」w

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ここが埠頭。

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ロープを結ぶ杭が残っている。

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昭和20年代の豊洲埠頭について歴史マニアの岩成政和さんが模型で解説します。

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豊洲の根本部分には造船所があった。
最近まであった。

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昭和25年に石炭置き場ができました。

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そして、石炭を使う火力発電所ができる。
昭和30年送電開始。

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発電所跡地は現在はマンション?

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さらに石炭を蒸し焼きにしてつくるガス工場ができる。
蒸し焼きにした石炭の残りはコークス。

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小学校のストーブはコークス使ってたなあ。
日直がコークス置き場に行ってバケツにコークスを入れるのですわ。

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豊洲はエネルギー基地となって東京をサポートしました。

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さらに運搬手段として鉄道が敷かれ、戦後復興は加速しました。

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ゆりかもめではないw

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鉄道は1989年まであった。

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林田アナは1989年生まれ。

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いじける年寄りw

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豊洲②に続く