関門海峡の門司側(北九州)にやってきました。

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現在位置確認。

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旅のテーマは先週に引き続き「関門海峡はなぜ”関門”?」

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下関でもほとんど専門家まかせだった下関市立博物館の田中洋一さん。

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また別の案内人に丸投げの田中システムw

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門司側の案内人、日比野利信さんはタモリさんの高校の後輩。

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海際に建つレトロな建物。

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明治45年に建てられた旧門司税関です。

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洋風建築が立ち並んでいる。

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このあたりは門司港レトロという地区。

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門司港レトロ:
明治・大正時代の建物を復元修復
当時の町の雰囲気を再現したエリア

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タイトル。

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門司は焼きカレー発祥の地。

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ちなみに小倉は焼うどん発祥の地だそうです。

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大阪商船・門司支店のタイル壁。

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覆輪目地:目地を半円形に盛り上げることでレンガやタイルを際立たせる手法

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手間もお金もかかる覆輪目地のタイル壁は、当時の門司の賑わいを物語る痕跡。

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明治中期の門司の地図には名だたる企業の支店(三菱、三井、日本郵船)や日銀などが記載されている。

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門司が栄えた理由は、炭鉱。

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門司は筑豊炭田の積出港だった。
筑豊炭田:
北九州に広がる大規模な炭田
産炭量は全国の5割を誇った

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大正14年の地図。
門司の発展に伴い、下関海峡は関門海峡に名称変更。

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門司港駅は現在修復工事中。

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門司港駅:
明治24(1891)年開業(開業当時は門司駅)
現在の駅舎は大正3(1914)年に建てられた

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終着駅が好きなタモリさん。

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明治25年、関門連絡線が開通。
トンネルができる前は、船が本州と九州をつなげていた。

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駅前の道の盛り上がりの下にある暗い空間。

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駅と港の連絡線を結ぶ地下通路でした。

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最盛期には連絡船は1日53往復、2万4000人の乗客を運んでいた。

貨車航送船。

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拡大すると貨車の車輪が見えます。

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昭和11年に世界初の海底トンネルの建設が始まります。

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その建設には大きな”関門”が立ちはだかっていました。

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タモリさんたちは門司駅に移動します。

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門司駅はトンネルの九州側の入り口です。

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トンネルを案内するのはJR九州の瀧口将志さん。

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ヘルメット装着。

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門司のゆるキャラ、じーもくん。

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保守・点検用の車両。

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これに乗ってトンネルを見学します。

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山陽本線下り。

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関門海峡・門司②に続く