タモリさんたちは関門海峡の成り立ちを知るために下関側の高台(火の山)にやってきました。

高台から見る関門海峡。

関門海峡の成り立ちについて解説をしてくれるのは、産業技術総合研究所の高橋雅紀さん。

狭い海峡の両側に険しい山がそびえ立つ。
何かに気づくタモリさん。

昔は一つの山だった?

地形を確かめるため、工事中の岩場に移動。

ロトーを見に行きます。

露頭:岩石や地層が地表に露出している部分

露頭の岩石を見事なハンマーさばきで砕く。

正直な感想w

石の声を聴けと言われても…。

タモリさんには聞こえるw

泥岩じゃなくて「もともとは」が入る。

実は林田アナはすでに京都で見ている。

絞りだした「ホルンフェルス」。

正解を出した林田アナを褒めたたえるオジサンたちw

京都・東山の回で登場したホルンフェルス。
マグマの熱でかたく変成した泥岩です。

京都の東山と関門海峡の地形は同じ成り立ちだった。

両側の山はホルンフェルス。
海峡のところは違う石でできている。

続いてタモリさんたちが向かったのは、火の山から北に8キロほどの場所。
ここで海峡が狭くて細長い形になった理由がわかります。

海峡部分の冷えたマグマは花崗岩だった。

真砂:花崗岩が風化して砂状になったもの

砂浜は花崗岩が真砂化してできたもの。

ピンク色の花崗岩の部分は風化しやすい。

花崗岩が削られた部分に海水が流れ込み、細長くて幅が狭い海峡ができる。

風化した花崗岩は砂となって海峡の底に溜まるので、現在でも浚渫(水底の砂をさらって掻き出す)している。


高台から見る関門海峡。

関門海峡の成り立ちについて解説をしてくれるのは、産業技術総合研究所の高橋雅紀さん。

狭い海峡の両側に険しい山がそびえ立つ。
何かに気づくタモリさん。

昔は一つの山だった?

地形を確かめるため、工事中の岩場に移動。

ロトーを見に行きます。

露頭:岩石や地層が地表に露出している部分

露頭の岩石を見事なハンマーさばきで砕く。

正直な感想w

石の声を聴けと言われても…。

タモリさんには聞こえるw

泥岩じゃなくて「もともとは」が入る。

実は林田アナはすでに京都で見ている。

絞りだした「ホルンフェルス」。

正解を出した林田アナを褒めたたえるオジサンたちw

京都・東山の回で登場したホルンフェルス。
マグマの熱でかたく変成した泥岩です。

京都の東山と関門海峡の地形は同じ成り立ちだった。

両側の山はホルンフェルス。
海峡のところは違う石でできている。

続いてタモリさんたちが向かったのは、火の山から北に8キロほどの場所。
ここで海峡が狭くて細長い形になった理由がわかります。

海峡部分の冷えたマグマは花崗岩だった。

真砂:花崗岩が風化して砂状になったもの

砂浜は花崗岩が真砂化してできたもの。

ピンク色の花崗岩の部分は風化しやすい。

花崗岩が削られた部分に海水が流れ込み、細長くて幅が狭い海峡ができる。

風化した花崗岩は砂となって海峡の底に溜まるので、現在でも浚渫(水底の砂をさらって掻き出す)している。

田中さん再登場。

専門的なところは丸投げして、節目節目で現れる男w

タモリさんたちは下関の中心地、唐戸にやってきました。
ここで町にできた”関門”を探ります。

満を持して田中さん自らがご案内w

下関と言えば、フグ。

タモリの好きなフグ料理ベスト3。
ヒレ酒、フグ刺し、唐揚げ。

唐戸市場。
フグの取扱量日本一。

水槽で泳ぐフグ。

下関がフグの町になったきっかけは、伊藤博文。

明治21年(1888年)、伊藤博文はフグの取り扱いを山口県に限って許可。
伊藤は長州出身だから、公私混同もいいところ。

フグは本題ではないので、亀山八幡宮に移動。
下関の海の守り神です。

江戸時代の絵図の亀山八幡宮。
海に面していた。

亀山の「山」に挟まった野球のボール。
昭和33年から挟まったまま。

林田アナにお賽銭を借りるタモリさん。

近江アナのことを思い出すw

参拝。

下関にあった”関門”とは関所。
ここを通過する船をチェックしていました。

江戸時代に開発された西廻り航路で、多くの船が下関を通るようになった。

日に1000艘もの船が出入りするようになったので、下関に関所が置かれた。

やがて開国を迎え、外国船も下関にやってくるようになりました。

1866年にフランスで描かれた関門海峡の絵図。

DETOROIT DE SIMONOSEKI(下関海峡)と記載されている。
関門海峡ではない。

関門海峡となった理由は、門司の町に行けばわかる。

また来週!

エンディング♪

次回(7月21日)は関門海峡・門司。


専門的なところは丸投げして、節目節目で現れる男w

タモリさんたちは下関の中心地、唐戸にやってきました。
ここで町にできた”関門”を探ります。

満を持して田中さん自らがご案内w

下関と言えば、フグ。

タモリの好きなフグ料理ベスト3。
ヒレ酒、フグ刺し、唐揚げ。

唐戸市場。
フグの取扱量日本一。

水槽で泳ぐフグ。

下関がフグの町になったきっかけは、伊藤博文。

明治21年(1888年)、伊藤博文はフグの取り扱いを山口県に限って許可。
伊藤は長州出身だから、公私混同もいいところ。

フグは本題ではないので、亀山八幡宮に移動。
下関の海の守り神です。

江戸時代の絵図の亀山八幡宮。
海に面していた。

亀山の「山」に挟まった野球のボール。
昭和33年から挟まったまま。

林田アナにお賽銭を借りるタモリさん。

近江アナのことを思い出すw

参拝。

下関にあった”関門”とは関所。
ここを通過する船をチェックしていました。

江戸時代に開発された西廻り航路で、多くの船が下関を通るようになった。

日に1000艘もの船が出入りするようになったので、下関に関所が置かれた。

やがて開国を迎え、外国船も下関にやってくるようになりました。

1866年にフランスで描かれた関門海峡の絵図。

DETOROIT DE SIMONOSEKI(下関海峡)と記載されている。
関門海峡ではない。

関門海峡となった理由は、門司の町に行けばわかる。

また来週!

エンディング♪

次回(7月21日)は関門海峡・門司。

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