タモリさんたちは再び有馬温泉に戻ってきました。
今度は人気の温泉街がどのように発展したのかを探ります。

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昔はほとんどの旅人が東側(京・大阪方面)から有馬にやってきました。

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どこかで見たような人影が…。

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京都府立大学の松田法子先生でした。

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熱海、別府に続き三度目の登場。

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東側の玄関口から金の湯に向かうメインストリートは谷筋の下り坂。
昔は川で、今も暗渠になって水が流れている。

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二階建ての建物が軒を接して並んでいる。
一階は店舗、二階が宿泊所が江戸時代のスタンダード。

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江戸時代は有馬千軒と言われるほどに多くの店や旅館が建ち並んだ。

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東の玄関口から金の湯までの道は曲がっているが、金の湯から南に行く道はまっすぐ。

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真っすぐな広い道はある人物が有馬に着た痕跡。

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直線好きのデベロッパーと言えば…。

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豊臣秀吉。

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事あるごとに有馬に来ていた秀吉。

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好きすぎて有馬を自分の領地にしてしまった。

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有馬から上がる税金を自分たちの滞在費に充てていた。

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秀吉湯殿跡

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この湯殿は当時では画期的な構造になっていた。

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深さ65㎝は立って入るには浅く、寝るには深い。
座って浴槽に寄りかかって入るのにちょうどよい深さ。

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当時は立ち湯が一般的だった。

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江戸後期になると冷めない人気に水を差す大事件が起きる。

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湯量が減り、温度も下がってしまった。
その理由を知るため、タモリさんたちは極楽源泉のパイプ交換の現場にやってきました。

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湯を送るパイプの内側に白いものが…。

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パイプに炭酸カルシウムが付着している。
炭酸カルシム:有馬温泉に含まれる炭酸ガスが空気に触れ、湯の中のカルシウムと結びついて固まったもの

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一週間に2回パイプ交換!

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再利用するより、新品のパイプを交換した方がコストが安い。

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最後にタモリさんたちが向かったのは有馬の街の高台
実はここはかつて有馬温泉をピンチに追い込んだ炭酸ガスを有馬名物に変えた場所です。

有馬名物炭酸せんべいを食す。

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ほんのり甘い。

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美味しいけど炭酸は感じない。

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明治時代、有馬を訪れた外国人はここに質の良い炭酸水が湧いていることを知り、好んで飲み始める。

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この様子を見て、地元の日本人が炭酸水を使った名物を作ろうと思い立ちました。

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こうして生まれたのが炭酸せんべい。

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今は重曹を使っているそうです。

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乳成分を使っていないので、タモリさん好みの味。

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600万年かけた濃い温泉が好き。

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最後に新ネタ”自噴する金の湯”w

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エンディング♪

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次回は3月10日です。

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