次にタモリさんたちが向かったのは、住宅街の一番外側のカーブの道
この場所で田園調布が超高級住宅街に変わった理由がわかります。

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坂道。

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坂道大好きタモリさん。

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素朴な疑問。

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田園調布の住宅街は切り立った台地の上にある。

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水分が低地に抜けていくので、台地の地盤が固く締まり安定している。

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警察関係者がやたら通るなか、坂道を上るミニバイク。

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バイクでの出前は田園調布が発祥らしい。

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このおそば屋さんを開業した人が、田園調布の価値を高めるような職業に就いていた。

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そば屋の屋号が「兵隊家」。

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軍人だったお祖父さんが退役後にそば屋を始めた。

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サラリーマンが最初に住んで次に軍関係の人間が住み始めた。

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田園調布は軍人に人気のある住宅地だった。

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きっかけは田園調布分譲開始直後の関東大震災。
緊急事態にもすぐ対応できるよう、軍人たちは地盤の強い高台に住むようになった。

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偉い軍人さんの家も5,6軒あった。

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田園調布は軍関係者の職場にも近かった。

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エリート軍人が住むようになり、街の価値が高まる。

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その後さまざまな分野のセレブが田園調布に住むようになる。

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昭和62年には1坪1000万円を突破。
住宅地の地価日本一に。

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続いてタモリさんたちが向かったのは多摩川のほとり
実はここで、田園調布がはるか昔から人気の場所だったことがわかります。

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ここは感慨深い場所?

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長い間続いてきた国分寺ガイセンがここで終わる。

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地質マニアだけがわかる感慨w

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良い質問です。
視聴者もわからないw

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国分寺崖線:東京の立川から田園調布まで続く崖
多摩川が10万年以上かけて削ったもの

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神社の階段を上る。

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神社の高台から見る多摩川。

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晴れていれば富士山も見える。

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田園調布ご自慢の絶景スポット。

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第二の案内人、大田区郷土博物館の齋藤あやさん。

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社殿の下には何があるでしょうか?

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正解。

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このあたりは古墳密集地帯。
浅間神社のある高台には前方後円墳が築かれていた。

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今も昔も高台は特権階級のもの。

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このカーブが厳しい東横線。

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古墳の出土品のレプリカ。

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東横線の車両が厳しいカーブ曲がってますw

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続いてタモリさんたちがやって来たのは、田園調布駅の東口
こちら側では住宅街の魅力をさらに高めた大胆な発想がわかります。

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西側が住宅地区、東側が商業地区になっている。

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東側は急斜面が多く、まとまった住宅街を作りにくいという事情もあった。

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ここには昔何かがあった。

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田園コロシアム跡地だった。

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田園コロシアム復元写真。

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田園コロシアム:
昭和11年開業の多目的屋外競技場
老朽化のため平成元年に閉鎖

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テニスの国際試合、プロレス、コンサートなどが催された。

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田園コロシアムができる前は斜面を利用して観客席を作った野球場があった。

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さらに不便な地形を利用して作られたのが多摩川園。

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多摩川園:
大正14年から昭和54年まで営業
戦後の最盛期には年間100万人近く来園

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多摩川園を解説するのは川崎市市民ミュージアムの渡邊裕太さん。

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戦前の多摩川園の案内図。
子供が喜ぶメリーゴーラウンドやシープレーンがある。

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水族館もあった。

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多摩川園は崖下の水が湧きだす低湿地にあった。

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多摩川園は崖や低湿地を逆手に取って作ったアミューズメント施設だった。

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当時一番人気だったアトラクションは、大山すべり(滑り台)。

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大山すべりの痕跡。

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戦前の大山すべりの映像。

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結構スピードが出て怖かったらしい。

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田園調布は最初から高級分譲住宅地というわけではなかった。

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大昔もセレブが住んでいた。

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エンディング♪

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次回(2月3日)は有馬温泉です。

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