田園調布駅前からスタート。

a1

タモリさんはご近所。
近江アナは初田園調布。

a2

一世風靡した星セント・ルイスのギャグ。

a5

あったあったw

a4

田園調布の位置。

a3

レトロな駅舎。

a6

旅のお題は「田園調布はどのように超高級住宅街になったのか?」。

a7

案内人は大田区立郷土博物館の築地貴久さん。

田園調布の街の歴史は1918(大正7)年に始まる。
今年でちょうど生誕100年。

a8

大正初期の田園調布。

a9

大正初期の東京:
近代化の影響で東京中心部の人口が急増
1890年から1910年までの20年で2倍に

a10

駅前を中心として放射状に道がある。

a12

パリの凱旋門広場を模範にしている。

a13

とすると、駅舎は凱旋門?

a14

まずタモリさんたちが向かったのは駅(西口)から見て一番左の道。
ここでこの街のユニークな構造を探ります。

a15

横の道はカーブを描いている。

a18

放射状の道路と環状道路を組み合わせているのが田園調布の特徴。

a16

この町割りは扇形の土地を作るので、土地の分譲という観点では具合が良くない。

a17

田園調布の土地開発には渋沢栄一の息子、渋沢秀雄が関わっていた。

a19

宝塚の回にも登場した小林一三もアドバイザーとして関わっていた。

a20

小林一三はこの街の構想を見て激怒した。


a21

反対を押し切ってまで、なぜこの形にこだわったのか?

a22

このへんの事情を地元民の宝樹永憲さんに説明してもらいます。

a23

カーブした道では緑が中心にくる。

a24

真っすぐな道だと、樹木は左右に別れて見える。

a25

道がカーブしていると、常に樹木の緑が中心にくる。

a26

この構造だと、散歩していても気持ちが良い。

a27

大正時代の建築規則も「瀟洒典雅」を謳っていた。

a28

田園調布の生け垣は「瀟洒典雅」の精神の表れ。

a29

生け垣はお手入れがたいへん。

a30

道がカーブしていると先が見えないので、その先に行ってみたくなる。

a33

カーブ派の渋沢秀雄。

a31

直線派の豊臣秀吉。

a32

田園調布の調布はもともと調布村だったから。

a34

田園は英語で何?

a35

答えは"garden"。

a36

ガーデンシティー:
都会を離れ、郊外に自然豊かな街を作る計画
産業革命後にイギリスで生まれたとされる

a37

明治政府の官僚がまとめたガーデンシティの調査報告。
ガーデンシティが田園都市と訳されている。

a38

庭園調布だったかもしれない。

a39

庭を大切にする田園調布の理想がわかる
築83年 分譲当時の姿を残す街の中心部では唯一の家

a40

道路に面して庭がしっかりと広がっている。

a41

雅子様が書道教室で通われた家。

a42

家の中は雑貨屋さんになっていました。

a43

リフォームしてあるが構造自体は分譲当時のまま。

a44

一番昔の面影を残している部屋。

a46

2LDK平屋建て。
分譲当時はこうした庶民的な家が多かった。

a47

当時は金持ちもいたが、中流のサラリーマンもいた。

a48

もともと田園調布はサラリーマン向けにつくった街。

a49

分譲当時の販売促進パンフレット。

a50

”社会中堅向け”と書いてある。

a51

今の価格で土地と建物合わせて3000万円ぐらいだった。

a52

田園調布は最初から高級住宅街だったわけではない。

a53

タモリさんが散歩中にイイ感じの古い家を見つけたので、家の前を掃除していたおばちゃんに話しかける。
そしたらおばちゃんにメチャクチャ怪しまれる。

a54

タモリと名乗ったが、ますます怪しまれる。

a56

「この家建て替える予定ないですよね」と言ったら、建設関係のセールスマンだと思われて「お金がないです!」と言われるw

a55

田園調布②に続く