タモリさんたちは宝塚の中心街、武庫川の近くに戻ってきました。
ここで明治以降の宝塚の発展について探っていきます。

先ほどまでいた小浜は向こう側。

近江アナのダジャレを説明に懸命な案内人は完全スルーw

武庫川は暴れ川なのに、なぜこのあたりが発展したのか?

それは温泉が発見されたから。

宝塚温泉の石碑。
明治17年に武庫川の河原で温泉が発見された。

宝塚温泉:明治20年 最初の温泉場が開業された

温泉が見つかった後、明治30年にJR福知山線、明治43年に阪急宝塚線が開通します。

交通の便が良くなった宝塚は温泉地として発展。
最盛期には70軒近くの旅館がありました。
こうして宝塚は関西有数の行楽地になりました。

かつての温泉街の面影はない。

温泉街に誕生した娯楽とは?
着物のクリーニング屋さん(洗い張り)がヒント。

着物といえば、芸者さん。
芸者さんとのお座敷遊びが娯楽でした。

着物のクリーニング屋さんのご主人に話を聞く。

芸者さんの全盛期を語るご主人。

当時は7軒あった洗い張り屋も今はここだけ。

番組が変わるw

かつて宝塚には花街があった。

海野町のマドンナと呼ばれた芸者さん。

名前は浅秀。

浅秀さんは健在で今も宝塚在住。

ご主人が浅秀さんに連絡してくれることに。
また番組が変わるw

浅秀さんとご対面。

若かりし頃写真を撮った場所で記念撮影。

お客さんは商談で来る人が多かった。

山沿いで景色が良く、温泉があり、料理屋がある。
商談(接待)には格好のロケーション。

大人のための洗練された娯楽(お座敷遊び)も必要だった。

しかし、まだ宝塚大劇場には結びつかない。

続いて向かったのは、武庫川に架かる橋の上。
いよいよ宝塚大劇場誕生の秘密に迫ります。

橋の上で待っていたのは、阪急文化財団・学芸課長の仙海義之さん。

温泉とお座敷遊びで男性は楽しめるが、女性や子供は楽しめない。

ここで一人の天才が現れる。

宝塚歌劇団の創設者、小林一三(1873~1957)。
明治44年、大劇場の前身となる娯楽施設をつくる。

小林一三が武庫川の左岸に娯楽施設をつくったのは、武庫川の独特な地形が関係している。

明治後期の宝塚温泉街。

現在の宝塚大劇場がある左岸は一面の低湿地でした。

川が氾濫すると水浸しになるような土地。

使い道のない土地に目をつけた一三は、そこある娯楽施設をつくりました。

再び宝塚大劇場に戻ってきたタモリさんたち。
ここに小林一三がつくった娯楽施設の名残りがあるそうです。

礎石を読む。

明治44年、宝塚新温泉が開業。

建物の中には男性用と女性用の大浴場があった。

小林一三は家族で楽しめる娯楽施設をつくりたかった。

宝塚新温泉にはたくさんの娯楽施設がつくられた。

中でも一番のウリは日本初の室内プール。
実はこのプールが歌劇団誕生と関係がある?

室内プールは真夏でも水温が上がらず、水が冷たくて不評だった。

不人気の室内プールをなんとかしようと、打開策を考える。

流れるプールにできるぐらいなら、温水プールにするわw

プールの水を抜いて板をはり、観客席にした。

脱衣場に使っていた場所を舞台にする。

プールを劇場にして、宝塚少女歌劇団が誕生。

最初の演目は「ドンブラコ」(桃太郎)。

女性や子供、家族で楽しめる娯楽施設をこの町にもたらした。

宝塚大劇場のルーツは低湿地だった。

タモリファン?

気分はトップスター。

タモリジェンヌw

最後にタモリさんたちがやって来たのは花のみち。

花のみちは、宝塚駅から大劇場に続くメインルート。
ステージのような小高い道が全長430mにわたって続いています。
実はこの花のみちも自然の地形がうまく利用されています。

花のみちという名前だが、実際には松の並木道。

大正時代の写真。

この道は武庫川がつくった自然堤防。

自然堤防:洪水で運ばれた土砂が川からあふれ
岸に堆積してできた高まり

江戸時代以降、堤防として活用するために松の木を植えて頑丈にしました。

暴れ川だった武庫川もいいことをしていた。

エンディング♪

次回(1月20日)は田園調布です。


温泉とお座敷遊びで男性は楽しめるが、女性や子供は楽しめない。

ここで一人の天才が現れる。

宝塚歌劇団の創設者、小林一三(1873~1957)。
明治44年、大劇場の前身となる娯楽施設をつくる。

小林一三が武庫川の左岸に娯楽施設をつくったのは、武庫川の独特な地形が関係している。

明治後期の宝塚温泉街。

現在の宝塚大劇場がある左岸は一面の低湿地でした。

川が氾濫すると水浸しになるような土地。

使い道のない土地に目をつけた一三は、そこある娯楽施設をつくりました。

再び宝塚大劇場に戻ってきたタモリさんたち。
ここに小林一三がつくった娯楽施設の名残りがあるそうです。

礎石を読む。

明治44年、宝塚新温泉が開業。

建物の中には男性用と女性用の大浴場があった。

小林一三は家族で楽しめる娯楽施設をつくりたかった。

宝塚新温泉にはたくさんの娯楽施設がつくられた。

中でも一番のウリは日本初の室内プール。
実はこのプールが歌劇団誕生と関係がある?

室内プールは真夏でも水温が上がらず、水が冷たくて不評だった。

不人気の室内プールをなんとかしようと、打開策を考える。

流れるプールにできるぐらいなら、温水プールにするわw

プールの水を抜いて板をはり、観客席にした。

脱衣場に使っていた場所を舞台にする。

プールを劇場にして、宝塚少女歌劇団が誕生。

最初の演目は「ドンブラコ」(桃太郎)。

女性や子供、家族で楽しめる娯楽施設をこの町にもたらした。

宝塚大劇場のルーツは低湿地だった。

タモリファン?

気分はトップスター。

タモリジェンヌw

最後にタモリさんたちがやって来たのは花のみち。

花のみちは、宝塚駅から大劇場に続くメインルート。
ステージのような小高い道が全長430mにわたって続いています。
実はこの花のみちも自然の地形がうまく利用されています。

花のみちという名前だが、実際には松の並木道。

大正時代の写真。

この道は武庫川がつくった自然堤防。

自然堤防:洪水で運ばれた土砂が川からあふれ
岸に堆積してできた高まり

江戸時代以降、堤防として活用するために松の木を植えて頑丈にしました。

暴れ川だった武庫川もいいことをしていた。

エンディング♪

次回(1月20日)は田園調布です。

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