タモリさんたちは1944年に噴火が起きた場所にやってきました。

昭和新山。

2年間で完成したそうです。

昭和新山ができる前は麦畑だった。

平地が盛り上がって山になる。

昭和新山は1945年9月生まれ。
タモリさんは同年8月生まれ。

昭和新山はタモリさんと同級生。

2年で頭角を現した若い火山は、世界的にも有名になった。

昭和新山の案内をしてくれるのは昭和新山の所有者、三松三朗さん。

ヘルメットをかぶって登山開始。

登山には持ち主の許可が必要です。

72年の間に木々の緑も回復してくる。

元は麦畑だったと思うと感慨深い。

「ひよっこ」のみね子のナレーションw

赤い山肌の異様な姿…。
どうしてこんな山ができたのか?

レンガのように赤い。

レンガは土を固めて焼く。

昭和新山の赤い岩肌は”天然レンガ”。

天然レンガ:噴火の際、粘土などがマグマの熱で焼かれて生まれた

赤い山肌はわかったが、この異様な姿はどうやってできたのか?

黒い部分は溶岩。

昭和新山の溶岩の特徴とは?

タモリさんご明察。

普通の溶岩は流れてくるイメージ。

昭和新山の溶岩は粘性があるので、流れずに固まる。

昭和新山ができる様子を実験で再現。

小麦粉・イカスミ・水で粘りのある溶岩をつくる。

麦畑はきな粉で表現。

下から溶岩を絞り出す。

地面に亀裂が走り、地震が起こる。

溶岩がもっこり顔を出す。

溶岩についた土は焼かれてレンガになる。

このように、昭和新山は出てきた形のまま固まった。

昭和新山の成長過程を記したグラフ。

成長記録が完璧にある火山は世界でも昭和新山だけ。

この記録を作成した三松正夫さん。

三松正夫さんは、所有者の三松三朗さんの義父。

三松正夫(1888~1977)
地元の郵便局長
昭和新山の成長過程を約2年にわたり記録

物資のない時代、工夫をして定点観測をおこなった。

戦時中の地形調査はスパイと疑われかねない極めて危険な行為。
しかし、戦争中で火山学者も来ないので正夫さんは土地を受け継ぐ子孫のためにも調査を続けた。

さらに正夫さんは昭和新山が観光地になって荒らされることないよう、私財をはたいて山を買い取る。

正夫さんが守った昭和新山は三朗さんに託される。

正直、山ではなく現金残して欲しかったw

その後もこの地域では噴火が続きます。
1977年:有珠山の頂上で発生した噴火は翌年まで続く
陸路が寸断され麓の住民が一時孤立状態に

住民たちは噴火があるたびに教訓を得て、次の噴火に備えてきた。

そして、2000年の噴火では、噴火が始まる前に住民完全避難。
けが人を一人も出さなかった。

2000年:有珠山のふもとで噴火が発生
温泉街からの距離は700m
噴火前の前兆地震を受け、迅速な避難行動がとられた

タモリさんたちが最後に向かったのはその2000年の噴火の現場。

ここで”世界の洞爺湖”になったもう一つの理由がわかります。

道路の痕跡。

道路の先に池、その先がまた道路。

池の先の道路は今は登っているが、前は下り坂。
つまり、噴火で盛り上がった。

後世のためにあえて噴火の痕跡を残した散策路を歩きます。

階段のようになった元道路。

これは断層崖。

アスファルトで舗装されていたので、17年経っても風化されずに地殻変動がそのまま残っている。

噴火の痕跡をそのまま残すのは偉い。

火山と共生する姿が”世界の洞爺湖”となった最大の理由。

同級生(昭和新山)に会えてよかったw

エンディング♪

次回(11月18日)は名古屋です。


小麦粉・イカスミ・水で粘りのある溶岩をつくる。

麦畑はきな粉で表現。

下から溶岩を絞り出す。

地面に亀裂が走り、地震が起こる。

溶岩がもっこり顔を出す。

溶岩についた土は焼かれてレンガになる。

このように、昭和新山は出てきた形のまま固まった。

昭和新山の成長過程を記したグラフ。

成長記録が完璧にある火山は世界でも昭和新山だけ。

この記録を作成した三松正夫さん。

三松正夫さんは、所有者の三松三朗さんの義父。

三松正夫(1888~1977)
地元の郵便局長
昭和新山の成長過程を約2年にわたり記録

物資のない時代、工夫をして定点観測をおこなった。

戦時中の地形調査はスパイと疑われかねない極めて危険な行為。
しかし、戦争中で火山学者も来ないので正夫さんは土地を受け継ぐ子孫のためにも調査を続けた。

さらに正夫さんは昭和新山が観光地になって荒らされることないよう、私財をはたいて山を買い取る。

正夫さんが守った昭和新山は三朗さんに託される。

正直、山ではなく現金残して欲しかったw

その後もこの地域では噴火が続きます。
1977年:有珠山の頂上で発生した噴火は翌年まで続く
陸路が寸断され麓の住民が一時孤立状態に

住民たちは噴火があるたびに教訓を得て、次の噴火に備えてきた。

そして、2000年の噴火では、噴火が始まる前に住民完全避難。
けが人を一人も出さなかった。

2000年:有珠山のふもとで噴火が発生
温泉街からの距離は700m
噴火前の前兆地震を受け、迅速な避難行動がとられた

タモリさんたちが最後に向かったのはその2000年の噴火の現場。

ここで”世界の洞爺湖”になったもう一つの理由がわかります。

道路の痕跡。

道路の先に池、その先がまた道路。

池の先の道路は今は登っているが、前は下り坂。
つまり、噴火で盛り上がった。

後世のためにあえて噴火の痕跡を残した散策路を歩きます。

階段のようになった元道路。

これは断層崖。

アスファルトで舗装されていたので、17年経っても風化されずに地殻変動がそのまま残っている。

噴火の痕跡をそのまま残すのは偉い。

火山と共生する姿が”世界の洞爺湖”となった最大の理由。

同級生(昭和新山)に会えてよかったw

エンディング♪

次回(11月18日)は名古屋です。

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