桂浜からスタート。

近江アナは高知生まれ。

タモリさんは学生時代に1回来たはずだが、ほとんど記憶がない。

高知と言えば、坂本龍馬。

龍馬がお腹に手を差し入れているのは、太ったのを気にしているから?w

旅のお題は「高知の町はなぜ龍馬を生んだ?」。

案内人は土佐史談会の吉澤文治郎さん。

競馬場の痕跡のカーブで意気投合w

龍馬は海を見ている。

坂本龍馬:天保6(1835)~慶応3(1867)年

亀山社中を結成。
亀山社中:貿易・海運・航海訓練・英語教育など
商社や海軍の役割を併せ持つ組織

倒幕派の薩摩や長州の動きを後押ししました。

なぜ龍馬がいち早く海外に目を向け、日本を動かす英雄になることができたのか?

それは高知の町づくりと地形に関係がある?

まずタモリさんたちが向かったのは、桂浜から車で30分ほどのところにある高知城。

城の天守から城下町の立地を確認します。

天守の高さは約60m。

東側の景色。

北側。
四国山地の山々。

四国山地があるので讃岐は雨が少ない。
土佐と讃岐では文化も食べ物も違う。

西側も山に囲まれている。

桂浜がある南側にも山がある。

高知城と城下町は四方を山をに囲まれ、海は見えない。

龍馬はどこで生まれた?

龍馬は城の西側の城下町で生まれた。

城と城下町をここに作ったことが、龍馬という英雄を生み出したことに関係がある(らしい)。

次にタモリさんたちが向かったのは城から東に1kmほど離れたかつての城下町。

この商店街を歩くと、高知の町が龍馬に与えた影響がよくわかるそうです。

吉澤さんは早稲田大学モダンジャズ研究会の後輩でした。

どん突き(行き止まり)にやってきました。

不自然な盛り上がりを発見。

商店街の表通りに「つちばし」の屋号。

盛り上がりの正体は橋の痕跡だった。

70年ほど前までここに堀があった。

この公園は堀を埋め立てた跡。

昔の絵図で見ると、赤い部分が公園にあたる。

東西に流れる二つの川の間に、南北に堀が設けられていた。

二つの堀の外側には何も書かれていない。

内側には(偉そうな?)氏名が書かれている。

堀の内側は上級武士の町、外側は下級武士と町人の町だった。

坂本龍馬は堀の外側で生まれた下級武士の家の子供。

土佐藩は武士のヒエラルキーがはっきり分かれていた。

身分の低い下士の子として生まれた怒りが、倒幕へのエネルギーにつながった。

次にタモリさんたちは東西に走る堀の跡をたどってゆきます。

有名なはりまや橋。

昔の絵図には名前は書かれてない。

はりまや橋を有名にしたのは「よさこい節」。

よさこい節を合唱w

よさこい節の由来を知っていた高知生まれの近江アナ。

よさこい節はお坊さんと美少女の禁断の恋の物語だった。

龍馬が19歳ごろの実話だった。

さらに東に進むと橋の痕跡がありました。
昭和32年ごろにはまだ堀があったようです。

堀を埋め立ててできたスペースはバスターミナルになっています。

はりまや橋から歩くこと10分、水面が見える場所までやってきました。

江戸時代、ここはどんな場所だったか?
絵巻物で確認。

今いるのはこのあたり。

米蔵があり、船から荷を揚げている。

この辺りは港から来た荷を揚げる物流センターだった。

堀の先をたどると、浦戸湾と桂浜、そして太平洋。

城下町から海は見えなくとも堀と海がつながっていたので、龍馬は海運の重要性に気づいていた。

それにしても、海と城下町を隔てるこの山はどうしてできたのか?

次は高知の地形の成り立ちについて解き明かします。

高知②に続く

この商店街を歩くと、高知の町が龍馬に与えた影響がよくわかるそうです。

吉澤さんは早稲田大学モダンジャズ研究会の後輩でした。

どん突き(行き止まり)にやってきました。

不自然な盛り上がりを発見。

商店街の表通りに「つちばし」の屋号。

盛り上がりの正体は橋の痕跡だった。

70年ほど前までここに堀があった。

この公園は堀を埋め立てた跡。

昔の絵図で見ると、赤い部分が公園にあたる。

東西に流れる二つの川の間に、南北に堀が設けられていた。

二つの堀の外側には何も書かれていない。

内側には(偉そうな?)氏名が書かれている。

堀の内側は上級武士の町、外側は下級武士と町人の町だった。

坂本龍馬は堀の外側で生まれた下級武士の家の子供。

土佐藩は武士のヒエラルキーがはっきり分かれていた。

身分の低い下士の子として生まれた怒りが、倒幕へのエネルギーにつながった。

次にタモリさんたちは東西に走る堀の跡をたどってゆきます。

有名なはりまや橋。

昔の絵図には名前は書かれてない。

はりまや橋を有名にしたのは「よさこい節」。

よさこい節を合唱w

よさこい節の由来を知っていた高知生まれの近江アナ。

よさこい節はお坊さんと美少女の禁断の恋の物語だった。

龍馬が19歳ごろの実話だった。

さらに東に進むと橋の痕跡がありました。
昭和32年ごろにはまだ堀があったようです。

堀を埋め立ててできたスペースはバスターミナルになっています。

はりまや橋から歩くこと10分、水面が見える場所までやってきました。

江戸時代、ここはどんな場所だったか?
絵巻物で確認。

今いるのはこのあたり。

米蔵があり、船から荷を揚げている。

この辺りは港から来た荷を揚げる物流センターだった。

堀の先をたどると、浦戸湾と桂浜、そして太平洋。

城下町から海は見えなくとも堀と海がつながっていたので、龍馬は海運の重要性に気づいていた。

それにしても、海と城下町を隔てるこの山はどうしてできたのか?

次は高知の地形の成り立ちについて解き明かします。

高知②に続く

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