タモリさんたちは再び氷川神社の近くに戻ってきました。

大宮アルディージャの本拠地、NACK5スタジアム。

先生はレッズファンw

タモリさんたちがいるのは、氷川神社のすぐ東にある大宮公園。
この公園の中に大宮に駅ができた理由がわかる場所があります。

この石は何か?

石灯籠もある。
ということは、昔庭だった?

大正期のこのあたりの見取り図をみると、料亭がいくつもある。

丘の上の料亭街と駅には何の関係があるのか?

駅を誘致するため、大リゾート開発プロジェクトがおこなわれた。

地元主導のリゾート計画によって明治18年、大宮に待望の駅ができました。

明治の終わりから昭和の初めにかけて、大宮は素晴らしい眺望が評判の人気リゾート地だったのです。

数々の文化人が大宮を訪れていた。
森鴎外はここを舞台にした小説も書いている。

横顔の写真が印象的なあの人w

帝大生時代、正岡子規も夏目漱石を誘って大宮にやってきた。

多くの明治の文豪たちが大宮を訪れていた。

近江アナにお仕事依頼。

田山花袋の随筆「東京近郊一日の行楽」。

大宮公園は明治のデートスポットだった。

昭和初期の大宮公園を描いた絵。

今でも赤松の林がある。

大宮公園は氷川神社の森だった。

ここまでは大宮に駅ができなかった理由と駅ができた理由。
ここから先は、大宮が「鉄道の町」になった理由を紐解きます。

タモリさんたちは大宮駅から北に800mのところにやってきました。

普通の住宅街。

案内をするのは鉄道博物館、副館長の荒木文宏さん。

普通のお宅にお邪魔する。

鉄道ファンにはたまらない窓からの景色。

右が高崎線、左が宇都宮線。
二つの路線は大宮で分岐している。

分岐は街の発展にとってとても重要。
分岐する乗換駅には人が集まり施設もできる。

明治10年代、東京と東北を鉄道で結ぶことが国家的な課題でした。
そこでもともとあった上野ー高崎の鉄道から分岐して宇都宮まで線路を伸ばすことに。
そして、分岐点の候補に挙がったのが大宮と熊谷。

川を渡るには鉄橋を作らなければならない。

分岐点が大宮になったのは、橋の建設費が決め手だった。

続いてタモリさんたちは、大宮駅の西側にやってきました。
ここには大宮を「鉄道の町」として不動のものにした場所があります。

だんだん鉄分が濃くなってくる。

昭和13年に大宮工場で作られた最初のD51。

元鉄道マンの荒木さんは蒸気機関車を操縦したこともある。

大宮総合車両センターに着きました。
*一般には公開していません

明治27年、駅のすぐそばにできた鉄道整備工場。

工場見学でタモリさん上機嫌。

整備中の踊り子号。

踊り子号の台車。

コンプレッサー:空気を圧縮して送り出す装置
ブレーキやパンタグラフを動かすために使う

コンプレッサーの音真似w

首都圏を走るJRの車両約2000両がこの工場で定期的に整備されています。
工場の規模は東京ドーム3個分。

大宮は最盛期には鉄道関係者が1万人以上暮らす「鉄道の町」になりました。

大宮を通る新幹線はすべて工場の上を走っている。

駅のすぐ近くに広大な工場を作ったので、新幹線を通すときには新たに土地を買収する必要がなかった。

工場の奥をさらに進んでいくと、大宮駅に着く。

ブラタモリ大宮編のスタート地点に戻りました。

分岐点、整備工場、新幹線を一か所にまとめたことにより、大宮は「鉄道の町」となったのです。

旅のお題のまとめ。

まず駅の誘致運動から始まった。

分岐ができて良かった。

今やスタジアム、劇場、鉄道博物館のある大都市になった。

エンディング♪

次回(7月8日)は弘前です。


普通の住宅街。

案内をするのは鉄道博物館、副館長の荒木文宏さん。

普通のお宅にお邪魔する。

鉄道ファンにはたまらない窓からの景色。

右が高崎線、左が宇都宮線。
二つの路線は大宮で分岐している。

分岐は街の発展にとってとても重要。
分岐する乗換駅には人が集まり施設もできる。

明治10年代、東京と東北を鉄道で結ぶことが国家的な課題でした。
そこでもともとあった上野ー高崎の鉄道から分岐して宇都宮まで線路を伸ばすことに。
そして、分岐点の候補に挙がったのが大宮と熊谷。

川を渡るには鉄橋を作らなければならない。

分岐点が大宮になったのは、橋の建設費が決め手だった。

続いてタモリさんたちは、大宮駅の西側にやってきました。
ここには大宮を「鉄道の町」として不動のものにした場所があります。

だんだん鉄分が濃くなってくる。

昭和13年に大宮工場で作られた最初のD51。

元鉄道マンの荒木さんは蒸気機関車を操縦したこともある。

大宮総合車両センターに着きました。
*一般には公開していません

明治27年、駅のすぐそばにできた鉄道整備工場。

工場見学でタモリさん上機嫌。

整備中の踊り子号。

踊り子号の台車。

コンプレッサー:空気を圧縮して送り出す装置
ブレーキやパンタグラフを動かすために使う

コンプレッサーの音真似w

首都圏を走るJRの車両約2000両がこの工場で定期的に整備されています。
工場の規模は東京ドーム3個分。

大宮は最盛期には鉄道関係者が1万人以上暮らす「鉄道の町」になりました。

大宮を通る新幹線はすべて工場の上を走っている。

駅のすぐ近くに広大な工場を作ったので、新幹線を通すときには新たに土地を買収する必要がなかった。

工場の奥をさらに進んでいくと、大宮駅に着く。

ブラタモリ大宮編のスタート地点に戻りました。

分岐点、整備工場、新幹線を一か所にまとめたことにより、大宮は「鉄道の町」となったのです。

旅のお題のまとめ。

まず駅の誘致運動から始まった。

分岐ができて良かった。

今やスタジアム、劇場、鉄道博物館のある大都市になった。

エンディング♪

次回(7月8日)は弘前です。

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