花街の移転と西楼門のズレはどう関係しているのか?

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20世紀に入り、四条通に市電(路面電車)が開通。

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明治以前の道幅(赤)。

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市電が通るので、道路を北側に広げた。

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道路の拡張に伴い、風景を整えるために西楼門が道路の正面になるように移した。

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市電が通り、四条通は老若男女誰しもが行きかう街になっていった。
そこに花街があるのは風紀上よろしくない。

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大正元年、四条通に面したお茶屋は営業禁止に。

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 一力亭の玄関も花見小路側に移される。
花街が四条通の南側に移転した理由は、京都の近代化にありました。

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ところで、花街はなぜ祇園と呼ばれているのか?
八坂神社で、その由来がわかるそうです。

八坂神社は祇園社?

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 この石灯籠はペリーが来航した江戸時代後期のもの。
 
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江戸時代、ここはお寺と神社がセットになって「祇園社」と呼ばれていた。

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 江戸時代の祇園社。

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祇園(精舎)は仏教寺院を意味する仏教用語。 
明治の廃仏毀釈により、「祇園」の名を冠することをやめた。

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鎌倉時代に建仁寺ができるまで、祇園社の境内は広大(オレンジ)だった。
花街があるあたりを祇園と呼ぶのは当然のこと。

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タモリさんたちは祇園社の時代に建てられた本殿を見に行きます。
本殿の中はテレビ初公開。

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 まずは参拝。

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この本殿は神様を祀る建物(神殿)と人が拝むための建物(拝殿)が一体になった神社としてはとても珍しい造り。

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この本殿の造りは「祇園造」と呼ばれる。
神仏習合時代の名残があるとても貴重な建築様式。

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ところで、花街のシステム(分業制)の始まりはどうだったのでしょう?
タモリさんたちは八坂神社の石の鳥居がある正門前の料亭中村楼にやってきます。

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江戸時代初めのこのお店の様子を描いた絵。

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お酒を飲んでいる。

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当時大人気だったのが、赤いエプロン。
 
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赤いエプロンをつけた女の子がお客の前で豆腐を切るパフォーマンスが超ウケた。

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祇園は信仰の場でありながら、娯楽の場でもあった。

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江戸時代使われていた包丁とまな板。
三味線の音に合わせて豆腐をトントン切っていた。

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店に伝わる祇園豆腐を作ってもらいます。

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お味噌が香ばしくておいしいそうです。

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当初は門前で参拝客にお茶だけを出す店が、江戸時代初め、料理やもてなす女性、さらにはお座敷まで提供する店に代わります。

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最初は一軒ですべてをまかなっていたのですが、お客さんのニーズに応えるために分業化していきました。

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タモリさんたちは分業制へ変化するきっかけとなった場所、祇園の西を流れる鴨川 へ向かいます。

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分業制の理由は、鴨川の川幅が関係している?

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豊臣秀吉のころ、川幅はどこからどこまであったか?

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河原町に目をつける近江アナ。
鋭い!

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川幅はこんなに広かった(黄色)。 

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川幅はいつ狭くなったのか? 

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江戸時代の石垣は、川幅を狭めた痕跡。

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寛文10年(1670年)に江戸幕府が鴨川の両岸に堤を築く(寛文新提)。

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江戸時代初め、お茶屋があったのは祇園社の門前(赤)。

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寛文新提ができたことにより、川沿いがお茶屋街になる(ピンク)。

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さらに水害が多かった祇園社所有の四条通北側の土地も開発される(紫)。

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江戸末期の祇園。
お茶屋は700軒、舞妓芸妓3000人以上。

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江戸時代の花街の中心は、四条通の北側だった。

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大規模な花街ができたから、システムも効率化し分業制が成立した。
分業化は堤のおかげ。

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再現イラスト:祇園社西楼門

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続いてタモリさんたちは江戸時代の花街の中心、四条通の北側にやってきました。
ここでは江戸時代の開発の痕跡が見られます。

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京都の人が祇園で飲むといえば、このあたり

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江戸時代中期の祇園の地図。
ギザギザの道こそ開発の痕跡?

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花街の痕跡?w

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お茶屋さんもまだポツポツ残っています。

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 ギザギザの道に到着。

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東側は直線。

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ギザギザなのは西側だけ。

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開発前からすでにあったのが、西の縄手通りと東の大名屋敷。

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この二つを基準に両方向から急激に開発が進み、街と街の間にいびつなスペースができます。

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西側の建物は斜めのまま道ギリギリまでせり出すように建てられました。
こうして、ギザギザの道が生まれました。

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四条通の南側はお茶屋組合が土地を一括所有しているので、街並みがきれいに揃えられている。

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北側は個人が土地を売ったり買ったりして、現代の花街になっている。

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聖と俗が微妙にお互いの領域を守りながら、少しその中で化学反応を起こして面白い都市ができあがる(タモリ)。

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エンディング♪

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次回(4月22日)は箱根です。

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