清水寺仁王門前。

清水寺は京都駅の北東2kmほどに位置し、世界遺産にも登録されています。

旅のお題は「人はなぜ清水をめざす?」。

案内人は京都町歩き団体主宰の以倉敬之さん。
清水寺は年間約600万人が訪れているそうです。

清水寺は平安時代の文学作品の源氏物語や更級日記にも登場しています。
清少納言の枕草子にも清水寺の賑わいが”さわがしきもの”として紹介されています 。

仁王門から有名な清水の舞台がある本堂を目指します。

本堂は撮影禁止なので、その隣の奥の院へ。

本堂は改装中。
平成の大改修:50年ぶりに本堂の屋根が葺き替えられる
2020年の完成を目指す

清水の舞台は最初からあったわけではない!?
*清水寺の創建年は778年

清水の舞台が最初に文献に登場するのは、1100年頃。

藤原成通(なりみち)という貴族が舞台の上であることをした。

蹴鞠の名手成通は、舞台の高欄(柵)の上をリフティングしながら往復した!

もともとは崖の上におさまっていた本堂。

その後本堂が建て替えられ舞台が作られました。

多くの参拝者を迎え入れるため舞台が作られた?
本堂舞台:奉納などの行事に使われる「舞台」
参拝者を迎え入れる場所としても機能

清水寺の前立ちは、千手観音像。
前立ち:厨子などの中の本尊の前に安置される仏像

観音→音を観る→衆生の声を聴く

千手観音はこの世のすべての人のあらゆる願いに応える 。
近江「そういえば、頭痛に効くお守りもありました」w

ところが、江戸時代になると舞台そのものが参拝者の目的になってきました。
あのことわざ、「清水の舞台から飛び降りる」。

ほんとうに清水の舞台から飛び降りた人、記録で確認できるだけでも237件。

高さ12mの舞台から飛び降りて、生還率は85%。
祈願のために飛び降りたのだそうです。

滑稽都名所清水寺:京都の名所清水寺を紹介する浮世絵
歌舞伎のシーンを題材に舞台を描く

タモリさんたちは清水寺の名前のいわれになった「清水」を見に行きます。

清水寺の「清水」、音羽の瀧。

室町時代の「清水寺参詣曼荼羅」。
滝行が描かれています。

最近は飲むと3本の瀧ごとに別々のご利益があると信じられています。

頭良くなりたい近江アナw

近江アナが賢くなってしまうw

清水寺がここにできた地形的な理由を本堂近くの崖で確認します。

1年前、嵐山で見た岩と同じ。

さっそく水のご利益がw

昨年の嵐山の回で、 チャートは放散虫というプランクトンが降り積もってできた硬い岩だということを学びました。

なぜ盆地の両側に同じ岩があるのか?

清水寺周辺と嵐山周辺は、もともとは平らな地続きだった。

100万年ほど前から、この地層に力が加わり断層ができる。

断層崖に挟まれた京都盆地。

しかし、本堂が建っている崖は、断層崖と直角になっています。

本堂が建っている崖は、はるか昔に音羽の瀧から流れる川に削られてできた崖。
崖の交差点だったからこそ、清水寺が建てられた?
観音様が住む場所、「補陀落(ふだらく)」。

観音様は滝が流れる崖の上に住んでいた。

観音様が住まわれる補陀落をイメージして建てられたのが清水寺。
市街地に近い場所に理想的な崖があった。

清水寺②に続く

清水寺の「清水」、音羽の瀧。

室町時代の「清水寺参詣曼荼羅」。
滝行が描かれています。

最近は飲むと3本の瀧ごとに別々のご利益があると信じられています。

頭良くなりたい近江アナw

近江アナが賢くなってしまうw

清水寺がここにできた地形的な理由を本堂近くの崖で確認します。

1年前、嵐山で見た岩と同じ。

さっそく水のご利益がw

昨年の嵐山の回で、 チャートは放散虫というプランクトンが降り積もってできた硬い岩だということを学びました。

なぜ盆地の両側に同じ岩があるのか?

清水寺周辺と嵐山周辺は、もともとは平らな地続きだった。

100万年ほど前から、この地層に力が加わり断層ができる。

断層崖に挟まれた京都盆地。

しかし、本堂が建っている崖は、断層崖と直角になっています。

本堂が建っている崖は、はるか昔に音羽の瀧から流れる川に削られてできた崖。

崖の交差点だったからこそ、清水寺が建てられた?
観音様が住む場所、「補陀落(ふだらく)」。

観音様は滝が流れる崖の上に住んでいた。

観音様が住まわれる補陀落をイメージして建てられたのが清水寺。
市街地に近い場所に理想的な崖があった。

清水寺②に続く
コメント
コメント一覧 (3)
嵐山の崖と繋がっていたとは。
嵐山は
桂川左岸(右京区側)が丹波山地、
桂川右岸(西京区側)が北摂山地に属しますが、
清水寺は東山丘陵に属します。
東山丘陵が北摂山地と同じ山地だったとは違和感を感じます。
京都市中心部(俗にいう洛中)に住む人からすれば京都市でも東山丘陵の裏に位置する山科区を滋賀県扱いします。
洛中とは下京(しもぎょう)区、中京(なかぎょう)区、上京(かみぎょう)区を指す。
広義では北大路~西大路~九条~東大路に囲まれた地域。
京都といえば、特に東日本の人は京都市と宇治市だけを指す人があまりにも多いと思いますが、
京都市民は京都市だけが京都府と認識し宇治市は他府県扱いのようです。
京都府の北西部、福知山市や舞鶴市や天橋立は兵庫県と間違えられやすいです。
テレビ番組でいう京都府民あるあるネタは京都市民あるあるネタと言ってよく
(京都府の人口の55%が京都市だから仕方ありませんが。北海道でいう札幌市、宮城県でいう仙台市と同様な完全型一極集中構造)、
京都府北西部では通じません。
京都市がある京都府南東部ですら奈良県に隣接する木津川市etcでは通じません。
清水寺は学生時代に修学旅行で行った覚えがあります。
とはいえ、何の予備知識もなくバスに乗せられて集団で決まられたコースを歩くだけなので記憶にほとんど残りません。
これから修学旅行にいく学生さんたちは、ぜひブラタモリで予習されるとよいと思います。
旅が数倍感慨深いものになるのではないでしょうか。
どこの地方もそうですが、都道府県単位で語られるのは違和感があるようですね。
山があったり、藩が違ったりすると県内でも言葉や文化がかなり異なるようです。
京都駅から奈良線で次の東福寺駅へ、東福寺駅から京阪本線に乗り換えて2駅目の清水五条駅から徒歩25分。
京都府は元々は京都市がある東南部(山城国)だけであり、北西部(丹波国・丹後国)は兵庫県北部・福井県嶺南西部と合わせて豊岡県でした。
このため、京都府は東南部と北西部で文化が全く異なります。
山地や旧国や藩の名残で県内でも文化や方言に違いがあるのは青森県は典型例です。
青森県は津軽地方は津軽藩→弘前県、南部・下北地方は南部藩→八戸県でした(八戸市は1880年代に岩手県に属した時期もあった)から県の東西で全く異なります。