神戸港からスタート。

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神戸の思い出といえば、近江アナはアイス、タモリさんは中華街の肉まんw

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旅のお題は「神戸はなぜ1300年も良港なのか?」

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案内人は神戸海洋博物館の森田潔さん。

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神戸港は今年開港150周年。
西洋に向けての開港は150年ですが、港自体は1300年ぐらい前からある。

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タモリさんが考える良港の条件。

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タモリさんたちはまず船に乗りこみます。

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丁寧なお見送りw

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タモリさんたちがまず向かったのは、大型客船が着くポートターミナル

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神戸は海から山までが3キロぐらいしかない。
船で港に入って正面に山が見える港はなかなかない。

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タグボートが大きな客船を押した引いたりして接岸を手伝う。

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タモリさんは接岸マニア。
タモリ倶楽部 第1回接岸大賞)。

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22500tの客船。
今は2万トンクラスの客船は小さい方。

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16万トンの船が入港する様子。

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神戸港の客船ターミナルは海面下11mの船まで接岸できます。

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良港の条件:水深がある
タモリさんは番組の最初で言い当てていました。

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続いて向かったのが港の沖合。
そこで良港の理由が2つわかります。

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大阪湾は陸に囲まれていて、風の影響を受けにくい。

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特に神戸港は六甲山地があるので風の陰になっている。

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良港の理由:六甲山地が風を防ぐ

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緑色が明治以前の神戸港の海岸線。
左下が和田岬。

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 和田岬が潮流を防いでいる。

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神戸港が良港である理由

・水深がある
・六甲山地が風を防ぐ
・和田岬が潮流から守る 

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1300年前の神戸港の様子を探るため、タモリさんたちは神戸の中心から南西3キロの場所にやってきました。

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案内人は神戸学院大学の谷口義子先生。
神戸の街の歴史に詳しい谷口先生は、ドラマ「べっぴんさん」の神戸風俗考証を担当しています。
 
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橋の名前は「おほわだばし」。
「おほわだ」といえば、大輪田泊(おおわだのとまり)。

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神戸港の最初の名前は大輪田泊 。

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平安時代、この港に目を付けたのが平清盛。
大輪田泊を宋との貿易の拠点にしたのです。

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その後兵庫津(ひょうごのつ)と名前を変え、江戸時代に最盛期を迎えました。
 
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幕末には2万人が住んでいたといわれます。

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続いてタモリさんたちが向かったのは、大輪田橋から歩いて5分、運河に架かる橋の上です。 
ここで江戸時代の兵庫の津の痕跡を探します。
 
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江戸時代の絵図。
黄色はお寺。

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「内海」と書かれてあるのが、中心地。

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江戸時代の町名は今も残っているのか?

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橋の上に停留所。

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船大工町発見。

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向かいの町が磯之町なら、目の前は内海のはず。

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 運河の向こう側の町は磯之町でした。

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目の前の船溜まりは、かつての内海。

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内海の痕跡。

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昔はここ(青い矢印)から海に出入りできた。

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海への出入口あたりは水門になっています。

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江戸時代と現代の地図の比較。
運河の一部がかつての内海だったことがわかります。

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 少し歩いて兵庫津の繁栄の痕跡を見にゆきます。

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交差点に「西国街道」の看板 

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この交差点はかつての西国街道。

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右に行くと京都。
左に行くと九州。

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なぜ街道が直角に曲がっているのか?

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街道は兵庫津ができる前は山側をまっすぐに通っていました(紫)。
兵庫津が栄えてから、この場所を通るように曲げられたのです。
 
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最初にタモリさんが言っていたように、兵庫津は物流の交差点として栄えたのです。
 
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 神戸はなぜ1300年も良港なのか?②に続く