不老泉からたどってきた古い道の先の暗渠はどこにあるのか?
タモリさんたちは暗渠を探しに行きます。
右と左、どちらが暗渠か?
左の方が低いから水が流れそうですが、右の道の曲がり方も気になります。
タモリさんは右の道を選びましたが、やはり左の方が低くなっています。
タモリさんは地図上で左右の道の間に建物の並び方が不自然なところを見つけました。
その場所に行ってみます。
空き地のような場所に暗渠を発見。
タモリさんの予想通り、建物の間が流川の暗渠でした。
左の道(青)に流川の水面が見られる場所がまだ残っていました。
別府の砂蒸し風呂。
続いてタモリさんたちがやってきたのは流川通りの突き当り。
ここで温泉町・別府の新たな戦略を探ります。
港までまっすぐ突き抜ける流川通り。
そして、流川通りの突き当りには遊園地。
市街地の整備が完了した昭和の初め、様々な観光娯楽施設が造られました。
九州の宝塚と呼ばれた華やかな少女歌劇団。
高さ24m、当時東洋一の大きさを誇った別府大仏。
昭和4年、子供も楽しめる施設として作られた別府遊園地。
しかし、この山は遊園地を造るために開発されたものではありません。
遊園地ができる前にあったものとは何か?
遊園地の裏山を登ると温泉がありましたが、これ以外の施設がかつてあったそうです。
湯気が出ている穴。
古い地図を見ると、ここがかつて金山だったことがわかりました。
別府金山:
明治36年~大正5年
金や銀を産出
最盛期200人以上働いていた
しかし、ある理由で金山を閉山しなければならなくなりました。
その理由を知るためにタモリさんたちは坑道に向かいます。
坑道の入り口から湯気が出ています。
中に入ると、熱い。
45℃ありました。
閉山の理由を身をもって体験しました。
現在ここはサウナとして使われているそうです。
完成したばかりの遊園地からみた別府の景色。
オープンと共に山の突き当りまで宅地が広がっていきました。
妙な場所で退場する松田先生w
続いてタモリさんたちがやってきたのは 鉄輪エリア。
ここで巨大温泉都市誕生の秘密を探ります。
昭和10年の新聞記事。
別府町は周りの村と合併し別府市になりました。
別府はなぜ周辺の温泉地を取り込もうとしたのか?
小別府(別府村)は観光地の色合いが強いが、鉄輪温泉は長期滞在の湯治客向けのエリア。
昔ながらの湯治はどのようなものか?
一軒の湯治宿を訪ねます。
中に入ると、温泉を利用したキッチンがありました。
地獄蒸し:
野菜などを温泉の噴気で蒸す調理法
湯治客が宿で自炊する際に使用
タモリさんたちも食材を蒸してみます。
別府と鉄輪は温泉地としての性格が全く異なる。
合併前の大正9年の別府温泉の案内絵図。
すでに別府八湯全体を記載していた。
地獄は金になる?
湯治、観光名所、湯の花、絶景など、別府には様々な魅力を持つ温泉地があります。
8つの温泉地の魅力を一つにしたのが、昭和10年の大合併でした。
そうこうするうちに食材が蒸しあがりました。
野菜は甘くなっておいしいそうです。
地獄蒸しは極楽の味がする。
まとめ
まず開港した。
次に道路を整備した。
そして大合併。
個性的な各温泉を総称して別府温泉郷になった。
暗渠巡りは楽しくなかった?w
エンディング♪
おまけ
道端にも温泉が湧いている。
「路傍の温泉」という小説が書けそうw
次回(2月18日)は「神戸の港」です。
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