海地獄からスタート。

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タモリさんは60数年ぶりの再訪。
思い出はおばあさんに「言うこと聞かないと地獄にほうりこむぞ」と脅かされたことだけw 

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別府の地獄とは、高温の蒸気や温泉が自然に湧き出す場所のこと。
海地獄は含まれる鉱物に光が反射して青く見える。

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海地獄の温度は約98℃。

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旅のお題は「巨大温泉都市・別府はどうできた?」。
案内人は前回に引き続き別府市教育委員会の永野康洋さんです。

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江戸時代、温泉番付では前頭6枚目だった別府温泉。
なぜその別府が横綱級の巨大温泉都市に発展したのか、その秘密を探っていきます。

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別府の三毛猫。

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タモリさんたちは別府村と呼ばれていた海岸近くの通りにやってきました。

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何かを発見した二人。

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極めて不自然な場所でコーヒーを飲む女性w

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熱海の回でお世話になった先生でした。

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京都府立大学の松田法子先生。
先生は学生時代から温泉町別府の成り立ちを研究しているそうです。

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路傍の石垣に目をつけるタモリさん。
 
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低い石垣は港まで続いています。

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赤い線が石垣のあるところ。

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石垣は、港に作られた防波堤の痕跡でした。

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明治4年、別府村に大きな船が停泊できる近代的な港が完成。
遠くからも温泉を楽しむために客が来るようになり、海岸沿いには旅館や共同温泉が作られました。 

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さらに2年後、大阪との定期航路ができました。
関西と直接つながった別府村は急速に発展しました。

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当時港周辺の砂浜は、砂蒸し風呂になっていました。

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上の写真が撮られた場所と思しきところで、追体験してみます。

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近江アナと松田先生のポーズが、子供と大人w

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当時の写真を見ると、女性はおっぱい丸出し。

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昔はおっぱいの価値が低かった?

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続いてタモリさんたちがやってきたのは、港から山に向かって約1㎞、現在の別府の中心地です。
ここで発展を遂げた町の痕跡を探します。

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別府に古くからある共同浴場、不老泉

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明治の地図にも不老泉は描かれています。

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その脇の古い道から海に向かって歩いていきます。

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道は途切れ、広いまっすぐな通り
に出ます。

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 通りの先には明治時代に港だった場所が見えます。

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古い道(赤)をたどるとまっすぐな広い道(黄)に出ました。

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 このまっすぐな道こそ、港ができた後の町づくりに大きな関係があります。

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この道は、明治43年から始まった市区改正事業によって作られました。
別府は海側から山側に町を拡大させていったのです。

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 道が整備されたのになぜ古い曲がりくねった道が残っているのか?

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タモリさん、古い道が暗渠になっている事を見抜く。

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 古い道の下には流川という川が暗渠になっています。
 
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明治時代の地図には湯の川と書かれてあります。
お湯が流れていたようです。

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通り沿いの雑貨屋さんの奥に入ると…

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垂れ流し(かけ流し)の温泉がありました。

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やはり流川にはお湯が流れていたようです。

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流れ川沿いは掘れば温泉が出たので、明治以降たくさんの旅館が建ち並びました。

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明治40年代に町を整備する際、町の軸に選んだのが、当時一番にぎわっていた流れ川沿い。
ここにまっすぐな道を通し、流川通りと名付けました。

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 巨大温泉都市・別府はどうできた?②に続く