中目黒駅前からスタート。

今回はタモリさんが30年暮らす地元目黒です。

桜の名所、目黒川で合成写真w

今回のお題は「目黒は江戸のリゾート!?」

案内人は目黒の地理に詳しい小林性政能さん。
地図に描かれた境界線を探し回るマニアックな団体の代表です。

今回のテーマのカギを握るのが、”境界”。

江戸の範囲を記した古地図。
赤い線(朱引)が江戸の範囲。
黒い線が(墨引)が江戸奉行が管轄した範囲。

目黒の辺りは江戸での外なのに、江戸奉行の管轄になっている。
人が集まるから?
なぜ人が集まる?

タモリさん一行は中目黒駅から2キロほど離れた商店街に移動。
ここを歩けば、目黒が人が集まる特別な場所だったことが分かります。

目黒といえば寄生虫博物館。
なぜかデートスポットになっている。

「鷹狩り」の回で、目黒を案内してくれた法政大学の根崎光男先生も案内人に加わります。

今タモリさんたちが歩いてきたのは目黒不動尊に至る参詣道。
この辺りは、目黒不動の門前町だった。

目黒が江戸奉行管轄の特別な場所だったのは目黒不動があったから。
江戸時代、目黒不動は日帰りできる観光名所でした。

水かけ不動
身代わりで水垢離をしてくれる不動明王。
水をかけた部分が良くなるという信仰も。

全身にかけたい71歳w

江戸時代、目黒不動にはお堂が40ほどあり、いろいろな神様が祀られていた。

ここに来れば、願い事はなんでもかなうという画期的なシステム。

江戸時代からある前不動の不動明王。
この像は本尊の写し。

将軍や大名が本尊にお参りに来ると、庶民は入れない。
その時のために、この前不動がある。

目黒は将軍の鷹狩りの場所でもあった。
目黒不動参りのきっかけにもなる。

時代劇に鷹狩りはないことはないが、そんなしょっちゅうは出てこない。

近江風テキトー目黒のさんまw

次にタモリさん一行は、赤い線の辺りに移動します。
ここにも目黒の名所があったそうです。

目黒不動から600メートルほど離れた目黒川の橋の上。
江戸時代は太鼓橋がかかっていました。

行人坂はミニバイクも悲鳴を上げる急な坂。

行人坂の上からの眺め。

行人坂の上は目黒不動よりも約10メートル高い。
つまり、ここから西側の見通しが良い。

行人坂の上は富士見の名所だった。

眺めが良いので大名の別荘もあった。

行人坂の草なぎくん。

目黒不動のタモリさんと近江アナ。

次にタモリさん一行は中目黒駅前の高いビルにやってきました。
39階、地上136メートルからの眺め。
崖がよく見えます。

崖の上の高台には大名屋敷がたくさんあった。
そこで問題になってくるのは?
近江「水を引いてくる?」
近江アナ、ブラタモリに慣れてきました。

世田谷区から品川区まで、全長10kmにおよぶ三田用水がありました。
目黒の大名屋敷に水を供給するために作られたもの。

約300年にわたって目黒の地を潤し、約40年前に廃止されました。

三田用水がまだ現役で残っている場所がある?
タモリさん一行は、600メートルほど離れた防衛装備庁の研究所に向かいます。
艦艇装備研究所は自衛隊の艦船を研究する施設。
敷地は東京ドームおよそ2個分。

終戦直前の研究所の地図を見ると三田用水が描かれてあります(薄い青)。
濃い青は昭和5年以前の三田用水のルート。

三田用水の水路橋の痕跡?

昔はこのように水路が道の上をまたいでいた。

昭和5年に完成した大水槽。
長さ250メートル、幅12メートル。

ここは水に藻や雑菌を繁殖させないために、窓がありません。

波の抵抗などの実験をする際、水に藻や雑菌があると正確なデータが取れない。
データの継続性の観点から水もなるべく入れ替えないのだそうです。

蒸発した分などをつぎ足していますが、18000トンの水のうち4割ほどが三田用水の水だそうです。

続いてタモリさん一行が向かったのは、富士見の名所だった行人坂のふもと。
江戸時代のリゾートだったDNAを受け継いでいる場所を訪れます。
目黒雅叙園。
東京の結婚式場といえば、ここと目白の椿山荘。

昭和6年開業。
大名屋敷(細川越中守)の広大な敷地を利用した奥行きのある庭が名物でした。

東京都の有形文化財に指定されている百段階段。
高低差16メートルの斜面に建てられた4つの建物をつなぐ階段。

螺鈿で装飾された宴会場。

7つある広間は当時の名だたるアーチストによって手掛けられた絵や飾りで彩られています。
草丘の間。

漁礁の間。

百段階段を登りきり、崖の一番上の広間(頂上の間)へ。

庭には三田用水の水を引いた人工のせせらぎがあった。
これは細川越中が造ったものをそのまま引き継いだもの。

今は水は流れていませんが、CGでせせらぎを再現。
三田用水が廃止される1974年まで水が流れていました。

タモリさんは防衛省の研究所を見られたのが最大の収穫。

目黒のさんま。

おまけ。
タモリさん、三田用水の水をお土産にもらう。

次回は1月2日(月)に初詣スペシャル「成田山新勝寺」、1月7日(土)「浦安」です。

39階、地上136メートルからの眺め。
崖がよく見えます。

崖の上の高台には大名屋敷がたくさんあった。
そこで問題になってくるのは?
近江「水を引いてくる?」
近江アナ、ブラタモリに慣れてきました。

世田谷区から品川区まで、全長10kmにおよぶ三田用水がありました。
目黒の大名屋敷に水を供給するために作られたもの。

約300年にわたって目黒の地を潤し、約40年前に廃止されました。

三田用水がまだ現役で残っている場所がある?
タモリさん一行は、600メートルほど離れた防衛装備庁の研究所に向かいます。
艦艇装備研究所は自衛隊の艦船を研究する施設。
敷地は東京ドームおよそ2個分。

終戦直前の研究所の地図を見ると三田用水が描かれてあります(薄い青)。
濃い青は昭和5年以前の三田用水のルート。

三田用水の水路橋の痕跡?

昔はこのように水路が道の上をまたいでいた。

昭和5年に完成した大水槽。
長さ250メートル、幅12メートル。

ここは水に藻や雑菌を繁殖させないために、窓がありません。

波の抵抗などの実験をする際、水に藻や雑菌があると正確なデータが取れない。
データの継続性の観点から水もなるべく入れ替えないのだそうです。

蒸発した分などをつぎ足していますが、18000トンの水のうち4割ほどが三田用水の水だそうです。

続いてタモリさん一行が向かったのは、富士見の名所だった行人坂のふもと。
江戸時代のリゾートだったDNAを受け継いでいる場所を訪れます。
目黒雅叙園。
東京の結婚式場といえば、ここと目白の椿山荘。

昭和6年開業。
大名屋敷(細川越中守)の広大な敷地を利用した奥行きのある庭が名物でした。

東京都の有形文化財に指定されている百段階段。
高低差16メートルの斜面に建てられた4つの建物をつなぐ階段。

螺鈿で装飾された宴会場。

7つある広間は当時の名だたるアーチストによって手掛けられた絵や飾りで彩られています。
草丘の間。

漁礁の間。

百段階段を登りきり、崖の一番上の広間(頂上の間)へ。

庭には三田用水の水を引いた人工のせせらぎがあった。
これは細川越中が造ったものをそのまま引き継いだもの。

今は水は流れていませんが、CGでせせらぎを再現。
三田用水が廃止される1974年まで水が流れていました。

タモリさんは防衛省の研究所を見られたのが最大の収穫。

目黒のさんま。

おまけ。
タモリさん、三田用水の水をお土産にもらう。

次回は1月2日(月)に初詣スペシャル「成田山新勝寺」、1月7日(土)「浦安」です。

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