では、武蔵沈没の原因は何なのか?
なぜ粉々に砕け散っていたのか?
武蔵の最期を解明するため、ある未公開資料の取材が初めて許可された。
建造にあたった三菱重工が70年間部外秘としてきた武蔵の200枚を超す詳細な内部の図面。

海底に散らばっていた残骸が武蔵のどのパーツなのか、一つ一つ特定を進めた。

その結果散乱していたのは機関室のボイラーなど武蔵の心臓部を形成していた部分であることが分かった。

絶対に壊れない装甲板に守られていたはずの部分である。

では、装甲板はどこに行ったのか?
専門家が注目したのはデータに記録されていたある構造物。

映像を確認すると、30mにわたる巨大な鉄の壁が横たわっていた。
装甲板の一部が見つかった。

見つかったのは、船体の側面を覆っていた装甲板のこの部分。

武蔵の装甲板は戦艦の遠距離からの攻撃に耐えられるよう世界一ぶ厚く作られていた。
しかし、当時の溶接技術ではぶ厚すぎる装甲板をつなぐことができず、リベットと呼ばれる鉄の留め具で固定されていた。

武蔵のリベット工事に携わっていた会社が今も大阪にある。

当時の様子を特別に再現してもらう。

分厚い鉄板の穴に通した鉄の棒を両側からハンマーで叩いて固定する。
武蔵の装甲板は4万本のリベットでつなぎ合わされていた。

専門家たちはリベットが装甲板が破られた原因なのではないかと指摘した。

遠距離からの戦艦の砲撃の角度。

対して、航空機の魚雷は真横。

複数の魚雷がつなぎ目付近を直撃。
リベットが外れ、装甲板ごと中に押し込まれる。
隙間から大量に浸水し、武蔵の沈没になったのではないか。

戦艦対戦艦の砲撃による戦闘を主体に考えていたので、航空機の攻撃は設計思想の想定外のことだった。

装甲板のつなぎ目の弱点は、実は早くから危惧されていた。
武蔵の元乗組員の証言。
レイテ出撃の10か月前、同じ構造の大和がたった1発の魚雷で装甲板のつなぎ目をやられたと聞いていた。
「だから、何発も魚雷を食うと水がどんどんはいってくるんじゃないかと。それは最大の欠点だなと…」

海軍上層部はその弱点を知りながら対策を取ろうとしていなかった。
武蔵の建造に携わった牧野茂の手記。
「結局艦本(艦政本部)では漏水対策さえすればよいとして、根本的改正の要はないと決定した。これが最後まで気がかりであった」

航空戦に対応するため急きょ設置された機銃。

乗組員たちは防御壁がないむき出しの状態で戦った。

当時17歳だった元乗組員の塚田義明さん(89)は機銃員たちが吹き飛ばされるところを間近で見ていた。
「木っ端みじんにはね飛ばされるし、機銃のがれきの破片…そういうところに肉片がこびりついて、それが人間のあれとは思えない」

艦橋の右側で見つかった幅6mほどの巨大な穴。
爆弾が直撃した痕跡とみられる。

そのそばにいて奇跡的に助かった元乗組員の大塚健次さん(92)。
この爆撃で艦長が重傷を負ったほか、士官たち50人以上が戦死したという。
「戦死した方の遺体も左舷の壁に重なった状態で亡くなって、私らのところも爆風が飛んできて数名やられ、(一人は)喉から上全部なくなっていた状態で、私の3m脇の椅子に座ったまま戦死されておりました」

生存者の証言や専門家の映像解析をもとに武蔵の最期の戦いを再現した。
昭和19年10月24日 午前10時ごろ。
米軍機40機以上が武蔵がいる艦隊に押し寄せた。

元乗組員「対空戦闘のラッパが鳴り、あっという間に(空が航空機で)いっぱいになりました」

元米軍パイロット「なんて大きい船だと思った。狙いを定める必要さえなかった」

魚雷が武蔵の船体をとらえる。

アメリカの空襲は5度にわたって繰り返された。

魚雷攻撃で側面に”まくれ”が生じ速力を失い始める。
元乗組員「船のスピードはまったく出ないし、よけることも逃げることももちろんできないし…だからほんとの標的ですね」

午後3時過ぎに始まった最後の攻撃は、100機以上が殺到。
武蔵に10発以上の爆弾が命中した。

さらに魚雷を積んだ航空機が挟み撃ちで武蔵を攻撃。

複数の魚雷が装甲板のある中央部に命中。
武蔵に致命傷を与えた。

速力を失った武蔵は、ついに艦長や士官がいる艦橋付近を狙い撃ちされた。

5時間を超える戦闘の末、武蔵は沈み始めた。

左に大きく傾くと同時に乗組員の多くが海に投げ出された。

沈没の直前、煙突に海水が流入し小規模な爆発があった。

それでも船体は形をとどめたままゆっくりと沈んでいったという。

しかし、海底の武蔵は大きく破壊されバラバラになって見つかった。

爆発の専門家である吉田さんは、水中で大爆発があったのではないかと指摘する。
吉田さんが注目したのは最強の攻撃力を誇った主砲の一部。
弾を格納していた頑丈な部屋が激しく損傷し、散らばっていたのだ。

吉田「比較的ぶ厚いであろう鋼材がぐにゃぐにゃに曲がっている状況は、爆発があったのではなかろうかと推定するのが自然」

吉田「火薬はある条件が整えば水中でも燃焼爆発する」

想定していた対戦艦の戦闘はなかったため、主砲の砲弾と発射のための火薬はほとんど残っていたと考えられる。

前後の主砲付近の船体は原形をとどめていたので、爆発したのは2番目の主砲だと推測した。

コンピューターでの爆発のシュミレーションの損傷状況は、海底に散らばる武蔵とほぼ一致した。

水中での爆発を裏付けるように海底に大量に散らばる火薬の缶の残骸。

武蔵の乗組員2500人のうち1000人以上が戦死した。
靖国神社 10月24日

武蔵が沈没したこの日、元乗組員や遺族が集まって慰霊祭が行われる。

元乗組員、塚田義明さん
「乗組員がいかに戦い死んでいったのか知ってもらいたい。その悲惨な結末を知ってほしい。戦争のむなしさというか、そういうものを感じてほしいということだと思う」

武蔵乗組員2399人のうち最終的な生還者は430人。
沈没時に救助された乗組員の多くが、陸上戦に動員され玉砕した。

昭和19年10月24日 午前10時ごろ。
米軍機40機以上が武蔵がいる艦隊に押し寄せた。

元乗組員「対空戦闘のラッパが鳴り、あっという間に(空が航空機で)いっぱいになりました」

元米軍パイロット「なんて大きい船だと思った。狙いを定める必要さえなかった」

魚雷が武蔵の船体をとらえる。

アメリカの空襲は5度にわたって繰り返された。

魚雷攻撃で側面に”まくれ”が生じ速力を失い始める。
元乗組員「船のスピードはまったく出ないし、よけることも逃げることももちろんできないし…だからほんとの標的ですね」

午後3時過ぎに始まった最後の攻撃は、100機以上が殺到。
武蔵に10発以上の爆弾が命中した。

さらに魚雷を積んだ航空機が挟み撃ちで武蔵を攻撃。

複数の魚雷が装甲板のある中央部に命中。
武蔵に致命傷を与えた。

速力を失った武蔵は、ついに艦長や士官がいる艦橋付近を狙い撃ちされた。

5時間を超える戦闘の末、武蔵は沈み始めた。

左に大きく傾くと同時に乗組員の多くが海に投げ出された。

沈没の直前、煙突に海水が流入し小規模な爆発があった。

それでも船体は形をとどめたままゆっくりと沈んでいったという。

しかし、海底の武蔵は大きく破壊されバラバラになって見つかった。

爆発の専門家である吉田さんは、水中で大爆発があったのではないかと指摘する。
吉田さんが注目したのは最強の攻撃力を誇った主砲の一部。
弾を格納していた頑丈な部屋が激しく損傷し、散らばっていたのだ。

吉田「比較的ぶ厚いであろう鋼材がぐにゃぐにゃに曲がっている状況は、爆発があったのではなかろうかと推定するのが自然」

吉田「火薬はある条件が整えば水中でも燃焼爆発する」

想定していた対戦艦の戦闘はなかったため、主砲の砲弾と発射のための火薬はほとんど残っていたと考えられる。

前後の主砲付近の船体は原形をとどめていたので、爆発したのは2番目の主砲だと推測した。

コンピューターでの爆発のシュミレーションの損傷状況は、海底に散らばる武蔵とほぼ一致した。

水中での爆発を裏付けるように海底に大量に散らばる火薬の缶の残骸。

武蔵の乗組員2500人のうち1000人以上が戦死した。
靖国神社 10月24日

武蔵が沈没したこの日、元乗組員や遺族が集まって慰霊祭が行われる。

元乗組員、塚田義明さん
「乗組員がいかに戦い死んでいったのか知ってもらいたい。その悲惨な結末を知ってほしい。戦争のむなしさというか、そういうものを感じてほしいということだと思う」

武蔵乗組員2399人のうち最終的な生還者は430人。
沈没時に救助された乗組員の多くが、陸上戦に動員され玉砕した。


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